映画『それでもボクはやってない』でもテーマとして描かれたように、痴漢冤罪は一時大きな社会的関心事となった。公開から14年が経った現在、痴漢事件の誤認逮捕や冤罪を取り巻く環境はどうなったのだろうか。

 ここでは“無罪請負人”とも呼ばれる弁護士、弘中惇一郎氏の著書『生涯弁護人 事件ファイル2』(講談社)の一部を抜粋。冤罪が生まれる理由について司法の側面から概観する。(全2回の2回目/前編を読む)

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事実誤認はなぜ生まれるのか

 痴漢事件は、以前は被害者が警察に訴え出ても、「証拠がない」などと言われ、犯罪として検挙されるまでに至らないことが多かった。被害者が非常に不愉快な思いをする時代が長く続いていたのである。

 その後、「被害者を泣き寝入りさせていいのか」と社会的な声が高まったこともあり、1990年代頃からいわゆる迷惑防止条例(*1)などで取り締まり、犯罪として検挙する方向へと舵が切られたが、その結果、無実の人を誤認逮捕してしまうという問題も起こった。

*1 迷惑防止条例:公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等を防止し、市民生活の平穏を保持することを目的とする条例の総称。各都道府県と一部の市町村に定められており、名称は地域によって異なる。

 痴漢事件は目撃者の確保が困難なため、警察は被害者の供述によって判断をすることが多い。たいていの場合、後ろから誰かに身体を触られた被害者が後ろに手を伸ばして相手の手を摑んだり、振り向きざまに捕らえたりして、「この人が痴漢です!」と宣言するので、無関係の人を犯人と誤認してしまうことも稀ではない。本稿で述べる事件もそのような事件である。

 また、痴漢事件は物的証拠に乏しいため、裁判になった場合、被害者の供述と被告人の供述を比較してどちらに信用性があるか、という形で裁判官が判断することが多い。

 その結果として、被害者が痴漢被害に遭った時の状況をうまく話せば被告人が有罪になり、被告人のほうが、自分はやっていないということをうまく説明できれば無罪になる。話しぶりや、話の組み立て方の差によって、裁判の結果が違ってくるわけだ。これには、当事者の証言能力だけでなく、事件を担当する警察や、当事者が相談している弁護士の知恵も影響することになる。

 裁判官によっては「被害者が嘘をついてまで痴漢事件をでっちあげるはずはない」という思い込みで、被害者の供述を信用して無実の人に有罪判決を下すこともあり得る。