入会金3万円、月会費1万5000円の事務に入会者が殺到
佐山は新日本退団後、都内に「タイガージム」をオープンさせるが、事実上のオーナーは「会長」を名乗ったショウジ・コンチャだった。タイガージムは、あの人気絶頂だったタイガーマスクがオープンしたジムということで、入会金3万円、月会費1万5000円と高額ながら入会者が殺到した。
しかし、タイガージムは高級スポーツクラブ内にあったため、賃貸契約上、格闘技のジムでありながら会員に格闘技を教えることが許されず、形を変えたファンクラブのようになっていた。このあたりから、佐山はコンチャに対し、不信感を抱くようになる。
「いま思えばショウジ・コンチャは、僕が本気で格闘技をやろうとしているなんて信じてなかったんでしょうね。だからタイガージムに関しても、『元タイガーマスク佐山聡』の知名度を利用して、金儲けをしようとしか考えてなかった。
たくらみを持って近づいてくる人間たち
タイガージムでは契約上、会員に格闘技は教えられなかったけど、インストラクターや内弟子だけの練習ではガンガン格闘技の練習をしてたんですよ。それで一度、僕の打撃で弟子が鼻血をドバーッと出して、ジムの絨毯部分が真っ赤になっちゃったことがあるんですけど、ショウジ・コンチャは『まさか?』と思ったでしょうね。『本当に格闘技の練習をやってるとは思わなかった』みたいな感じで。そもそもプロレスラーをバカにしていたような部分もあったと思います。その後、いきなり『全日本プロレスに出てくれ』とかいろんなことを言い出したんで、いよいよ『これは怪しいな』と思ってきた頃、Nさんという方が出てきて、ショウジ・コンチャの“正体”を全部教えてくれたんですよ。Nさんはある会社の社長なんですけど、以前コンチャにだまされた経験があったので、『あいつはとんでもない男だよ』って。それでだまされていたことに完全に気づくんです」
佐山は17歳で新日本に入門し、19歳で海外遠征に出て、帰国後すぐにタイガーマスクとして国民的なスターになってしまった。ある意味、“天才子役”のようなもので、無垢でまだ世間をよく知らない“金の成る木”として、たくらみを持って近づいてくる人間たちが多かったのだろう。だからこそシューティング初期、佐山は“タイガーマスク”から、離れよう、離れようとしていたのだ。
「もしかしたら、沢村忠さんと似たような状況だったのかもしれないですね。沢村さんもキックボクサーとして国民的なスターになったあと、沢村さんで金儲けしようと近づいてくる人がたくさんいたみたいなんです。だからこそ、やめたあとはいっさい表には出ずに、テレビとかそういう世界とは縁を切ったんだと思うんですよね。