ギャラのピンハネ、自由のない生活、団体内でのいざこざ……。人気絶頂の初代タイガーマスクがわずか2年でマスクを脱いだ理由については、これまで数多くの媒体でさまざまな推測・検証がなされてきた。しかし、何が決定打となり、引退を決意したかについては明らかになっていない面が多分にある。佐山聡氏本人は当時をどのように振り返るのか。

 ここでは、佐山氏へのロングインタビューと関係者8人の証言で“初代タイガーマスク”の実像に迫った『証言 初代タイガーマスク 40年目の真実』(宝島社)の一部を抜粋。佐山聡氏本人が明かしたタイガーマスク引退時の思いを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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ストロングスタイルの空洞化

 ダイナマイト・キッドとは別の意味で思い入れがあるのは、やはり小林邦昭との一連の闘いだという。

「小林邦昭さんとは、もともと新日本の前座でしのぎを削った仲ですから、タイガーマスクになってからも自分が考えるストロングスタイルの試合ができましたね。

 小林さんってすごくいい人なんですよ、あんなにいい先輩はいません。威張らないですし、怒られたとかそんなことは一回もない。メキシコでも仲良かったですし。だから小林さんがメキシコから帰ってくるとわかった時、自分との闘いで大スターになってほしいと思ったんです」

©iStock.com

 佐山の思惑通り、タイガーマスクvs小林邦昭は激しい試合となり、さらにタイガーの覆面を剝ぐというタブーを犯したこともあり、小林は“虎ハンター”の異名を持つヒールとして大ブレイクを果たした。

感情剝き出しのケンカこそが、人の目を惹きつける

 また、小林との抗争は、タイガーマスクの新たな魅力も引き出した。デビュー以来、タイガーマスクは毎週次々と現われる敵を華麗な技で倒していく完全無欠のヒーロー。ある意味、子供向けのヒーロー番組の主人公と同じでもあった。しかし、小林という宿敵を得たタイガーマスクは、破られたボロボロのマスク姿で怒りの感情をムキ出しにしながらケンカ腰で闘う、それまでとは 違うスタイルに変化。生身の人間としての魅力を見せはじめ、子供だけでなく、高校生・大学生や大人のファンも獲得していったのだ。