新日本プロレスの若手選手だった佐山聡が初代タイガーマスクとしてデビューして今年で40年になる。デビュー1戦目から試合後にはスタンディングオベーションを受けるなど、当時の新日本プロレスを代表する選手として活躍した初代タイガーマスクを当時のプロレスラーたちはどのように見ていたのだろう。
ここでは、初代タイガーマスク本人、そして当時の関係者たちの言葉をまとめた『証言 初代タイガーマスク 40年目の真実』(宝島社)の一部を抜粋。当時、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級チャンピオンとして海外で活躍していた藤波辰爾氏の言葉を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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漫画を超えていた佐山の動き
「タイガーマスクになる前の佐山って、ほとんど記憶にないんだよね。彼は俺が海外に行っている間に入門した選手。それで俺が78年の3月に帰国した時、佐山、ジョージ(高野)、平田(淳嗣)、前田(日明)といった俺の知らない選手が道場にいたんだけど、そのなかでも佐山は普通のおとなしい青年だったから、あまり印象にない。逆に印象に残っているのは、俺が凱旋帰国した直後に行われた新日本の花見で、酔っ払って大暴れした前田日明のほうだね(笑)。
あの時の話は前田自身もいろんなところでしゃべってるみたいだから言うけど、前田は酔っ払って包丁を持って他の選手たちを追いかけ回してたからね。結局、みんなに押さえつけられて、合宿所の部屋に縛りつけられてね。今でこそ笑い話だけど、これが現代だったらワイドショーの格好のネタになっていたよ(笑)」
藤波が凱旋帰国した3カ月後、78年5月に今度は佐山が海外武者修行に旅立っている。ここでもほぼ入れ違いとなり、藤波が初めて佐山とちゃんと話をしたのは、メキシコで再会した時だったという。
佐山が運動神経がいいのは知らなかった
「当時、俺はWWWFジュニアヘビー級チャンピオンで、新日本のシリーズに出るだけじゃなく、オフは海外でもタイトルマッチをやってたんだよね。それでメキシコで、レイ・メンドーサかフィッシュマンと防衛戦をやった時、先にメキシコ入りしていた佐山が俺のセコンドについてくれた。それが初対面みたいなもので、話をしたのもその時が最初だったね。
ただ、そんなに深い話をしたわけじゃないし、俺はメキシコで試合が終わったら、すぐに日本に帰らなきゃいけないようなスケジュールだったから、向こうでの彼の試合も見てないんだよね。
だから彼がタイガーマスクとして日本に帰ってきて、試合を初めて見た時は本当に驚いた。佐山があんなに運動神経がいいっていうのも俺は知らなかったから、すごい衝撃を受けたよ」