ハンデを背負いながらのデビュー戦
そんな経験をしている藤波だけに、タイガーマスクとしてデビューした時の佐山の重圧も理解できたという。
「彼の場合、タイガーマスクという漫画のキャラクターだったから、自分であって自分でない。それが彼にとってよかったのかどうかはわからないけど、リングサイドに梶原一騎さんがいて、テレビ局やいろんな人が動いたわけだから、相当なプレッシャーがあったはず。
しかも、用意されたマスクが急ごしらえで出来がよくなくてね。分厚い生地にマジックで模様を描いただけのマスクで、サイズもしっかり採寸したわけじゃないから、試合中すぐにズレてしまったらしい。だから視界はふさがれるし、呼吸だってしにくいだろうし。それだけのハンデを背負いながらよくあれだけ動いたよね。
俺もタイガーマスクのデビュー戦は蔵前国技館の通路の奥から見ていたけど、あれはすごかった。最初はファンも賛否両論というか、入場してきた時点では笑いが漏れるような感じだったのが、試合が進むにつれてどよめきが起こるようになって、最後はスタンディングオベーションみたいな感じだったからね。彼のあの動きがなかったら、『タイガーマスク』というキャラクターに負けてしまうところだけど、佐山の場合、漫画を超えていた。急ごしらえのマスクや、漫画のキャラクターへの先入観といった負の要素が、彼の動きによってすべて払拭されたね」
基本はストロングスタイル
タイガーマスクの登場は、プロレス界にとってまさに革命だった。そのスピーディーで立体的な技の数々、そして独創的な闘いは、プロレスの試合展開を大きく変えた。
現在、日本のプロレスは、ジュニアヘビー級だけでなく、ヘビー級の試合も飛び技やスピーディーな技の攻防が中心。その礎を築いたのは、間違いなくジュニアヘビー級時代の藤波と、タイガーマスクだ。しかし当の藤波は、自分やタイガーマスクが“ジュニアの世界”をつくったという見方を否定する。
「今、ジュニアヘビー級といえば、飛んだり跳ねたりして、技をたくさん出すイメージがあるけど、自分はそれをやろうとしたわけじゃないし、それは佐山も一緒だったと思う。基本はゴッチさん、猪木さんに教わったストロングスタイルですよ。勝負どころで、ドラゴン・ロケットとか独自の技を使っただけでね。ただ、技をワンテンポ早く仕掛けることは心がけていたので、動きの一瞬一瞬にメリハリがあったから、全体的に動きが速く見えていたんだよね。