それまで、周りから親子別姓についてとやかく言われたことはなかった。むしろドキュメンタリーを撮って以降、多くの大人から「別姓家庭の子どもはどんな気持ちなのか」と聞かれるようになり、自分にとっての当たり前をうまく説明できないもどかしさを抱えているという。また、面と向かって言われることこそないが、「お母さんと名字が違ってかわいそう」という声が耳に入ることもあると真実さんは穏やかに語る。
真実さん「よくわからないんですよ。お母さんと名字が違うからかわいそうってどういう感覚なんだろうって……その考えにたどり着いた思考回路を教えてほしいくらい(笑)。うちはふつうに仲もいいし、事実婚で不都合があったわけでもない。私はかわいそうじゃない、むしろ幸せだよって言いたいですね」
「決勝に残れば東京のNHKホールで、3000人の高校生にこの問題を知ってもらうことができたのに」
そんな「夫婦別姓が当たり前」の家庭で育った真実さんの作品は、放送コンテストで入選を果たす。しかし彼女は、決勝まで進めなかったことがとても悔しかったという。母親の由香里さんは、年の離れた末っ子でのんびりしたところのある彼女のそんな様子に驚いた。
由香里さん「私が『全国大会に出られただけでも充分だよ』と慰めると、『決勝に残れば東京のNHKホールで、3000人の高校生にこの問題を知ってもらうことができたのに』と言ったんです」
その言葉に由香里さんは、頭を殴られたようなショックを受けた。
由香里さん「彼女はほんの数ヶ月の制作期間でここまで強い当事者意識を持っているのに、私は30年近く別姓を続けながら、なんにもアクションしてこなかったなって。ニュースを見ては『今度こそ選択的夫婦別姓が認められるんじゃないか』と期待して、がっかりして。諦めちゃってたんですよね」
奇しくも、放送コンテストは真実さんのお姉さんが結婚するタイミングと重なっていた。姓に悩んでいた自身の結婚を思い起こし、由香里さんは愕然とする。
由香里さん「なにも変わらないまま一世代過ぎてしまったんだな、と突きつけられました」
そこで彼女は、自分にできることはないかと模索。「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」の事務局長である井田奈穂さんに連絡を取り、活動への参加を始める。そのつながりで、真実さんは別姓家族で育った子どもの立場から、与野党の党首に選択的夫婦別姓に関する意見書を手渡したり、親子でメディアの取材に応じたりと、発信の幅も広がっていった。
由香里さん「地元、長野の新聞社やテレビ局に勤める女性たちも『早く夫婦別姓を認めてほしい』と熱意を持って記事や番組をつくってくださいましたし、それを目にした昔の知り合いが『いまからでも元の姓に戻したい』と連絡をくれたりもして。みんな、こんなに忸怩たる思いを抱えていたんだと痛感しました」