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「血を抜かれたあとに、白い液体を注いで…」売血でその日をしのいだ若い頃、五木寛之が送った不運つづきの大学時代

『選ぶ力』より#2

2021/12/21

source : 文春新書

genre : ライフ, 読書, ライフスタイル

note

「人間の営みとは、知らず知らず『選択』の連続なんですよ」そう語るのは、作家の五木寛之さんです。日々の暮しを振り返っても、朝食に何を食べるか、いつ食べるのか、そもそも食べるのか、抜くのか。こうした日常を積み重ねた人生は、まさに選択の集大成に他なりません。

 では、悔いなき選択には、何が必要なのでしょうか。五木さんの『選ぶ力』(文藝春秋)には、選ぶ力を身につけるための珠玉の実践的ヒントが書かれています。同書より一部抜粋して、五木さんの考える運命について紹介します。(全2回の2回目/前編を読む

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運命には逆らえないのか

 運命。

 なんという重い言葉だろう。

 いや、重いというだけではない。どこかに重苦しい気配を感じる言葉である。

「運が悪かったよなあ」

 などと気軽に口にするわりには、私たちはあまり運とか、運命とかを真正面から考えようとはしない。

 ひょっとすると、そのことがいやなのかもしれないと思う。

 運、という字のつく単語は、無数にある。頭に浮かぶ言葉をずらずらとあげてみるだけでも、相当な数だ。

 運命のほかに、

 運勢、運気、幸運、不運、強運、非運、などは日常的につかう。

 地下鉄のホームに駆けおりて、一瞬のおくれで電車のドアがピシャリとしまったりすることがあって、

〈運が悪かった〉

 と、ため息をつく。

 反対のケースもある。

 品川駅からタクシーにのって、日比谷まで、なんと一度も赤信号に引っかからなかったことがあった。

 これなど希有の幸運というべきだろう。

 そんなたわいのないことならいい。しかし、その一瞬の運不運が、人の命にかかわることも少なくないのだ。

その一瞬が人生を変える

 飛行機の事故で全員が死亡したとき、偶然にその便に乗りおくれたという人がいた。

 ちょっとした夫婦喧嘩で自宅をでるのがおくれ、タクシーが渋滞にまきこまれたために出発に間にあわなかったのだそうだ。

©️iStock.com

 もっと悲惨なできごともある。

 高速道路で、反対車線を走っていた車が側壁にぶつかり、反動で中央分離を乗りこえて逆の車線にとびこんだ事故があった。

 宙を舞って落下してきた事故車の真下を走っていた乗用車が、まともにぶつかった。こちらもスピードがでていたために、スパッと切りとったように車体の上半分が失くなったそうだ。当然、乗っていた家族全員が上半身を切断されたような状態で死亡したという。

 ちょっと計算してみればわかることだが、時速60キロで走行している車は、1分間に1キロ、すなわち1000メートル走る。6秒で100メートル、1秒で約16メートル以上のスピードだ。

 もし、被害をうけた車が、1秒おそくそこをとおれば、確実に衝突をまぬがれただろう。

 1秒。その一瞬が人生を変える。

 幸せだった家族の休日が、その一秒の差で地獄となるのだ。

 もし、どこかの交差点で赤に変る直前、強引につっきるか、それとも橙色で安全に停止して待つか、その一瞬の差が運命の別れ目になる。