文春オンライン

「血を抜かれたあとに、白い液体を注いで…」売血でその日をしのいだ若い頃、五木寛之が送った不運つづきの大学時代

『選ぶ力』より#2

2021/12/21

source : 文春新書

genre : ライフ, 読書, ライフスタイル

note

占いの言葉

 自殺しようと高いビルから飛び降りた人が、ちょうど道路を歩いてきた通行人に直撃して、ぶつけられたほうの人が死んだりすることもあるのだから、運、不運はたしかにあるのだ。

 確率からいって、とうていありえないような事故もある。そんなケースを見ると、なんと運の悪い人だろう、とだれでもが感じるだろう。

©️iStock.com

 開運、という言葉が、そこで急に頭の奥にひらめく。運を開く、とは、運命を変えることなのだろうか。そんなことが本当に可能なのか。

ADVERTISEMENT

 女性雑誌や家庭婦人誌などには、よく占いの記事がのっている。

 テレビの番組でも、運勢を語る内容のものが少くない。吉凶を選ばず、というのが近代人の感覚だが、一方で占いの言葉を気にするところも少くない。

 乗物のシート番号などでも、4番か5番かといえば5番のほうを無意識に選んでしまう自分を不思議に思うことがある。

 3000年の宗教の歴史より、30万年のアニミズムの名ごりのほうが強い、といわれれば、それもそうだな、と納得する。

 守護霊とか、先祖霊とかいうなら、自分の背後にのっかっている運命の重さを、誰しもうっとうしく感じるだろう。

 運命、ということを、まったく考えない人がいるのだろうか。人が自分の意志と努力だけで前途を切り開いていけるものだろうか。

なりゆきが運命

 先日も建設現場のクレーン車が倒れて、通行中の人たちが多数、被害をうけた。たまたまそこを歩いていただけで天からクレーンが倒れてくる。なんということだろう。

 事故のあった翌日、たまたま私もその現場を通った。もし1日ちがっていたならば、私の上にクレーンが倒れてきたかもしれないのである。

 ことに戦争の時代を考えてみると、運命はひときわ重いものとして感じられてくる。 

 戦争を背景にしたドラマが多いのは、劇的な運命がひしめきあっているからだろう。 

 人はどうしようもない運命の重さを感じることがある。そして、その運命から逃れようとする。

 また、自分で自分の運命を切り開こうとする人びともいる。さまざまな開運の秘密が語られ、試みられる。

「運命の人」

 と、いう考え方もある。この世にたった1人の運命の異性に出会う、というのは、若い時代にだれもが一度は抱く願望だ。

 しかし、歳月とともに、その夢はしぼんでいく。

「なりゆきにまかせる」

 という生き方もある。なりゆきが運命だ、という考えかただ。私の感覚も、ややこのおまかせの姿勢にちかい。少年時代に、あまりにも激しい運命の転変にみまわれたせいだろうか。

選ぶ力 (文春新書)

五木寛之

文藝春秋

2012年11月30日 発売

「血を抜かれたあとに、白い液体を注いで…」売血でその日をしのいだ若い頃、五木寛之が送った不運つづきの大学時代

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春新書をフォロー