生産量の低迷、漁村に住む人々の高齢化・過疎化により、日本の漁業就業者は減少の一途をたどっている。危機的な状況ともいえる漁業界は、外国人の働き手を呼び込むことで、生き残りを図っているというが、その実情はいったいどのようなものなのだろう。
ここでは、北海道大学大学院水産科学研究院で准教授を務める佐々木貴文氏の著書『東シナ海 漁民たちの国境紛争』(角川新書)の一部を抜粋。日本漁業を支える労働力のリアルに迫る。(全2回の1回目。後編を読む)
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漁村消滅・人材消失
生産量が低迷する産業では、それに関わる人々の覇気も失われる。わが子を後継者にと望む漁師も減る。漁業がまだ外貨獲得産業であった1960年代の末には、60万人以上いた漁業就業者も、昭和の終わりには40万人を割り込むまでになった〔漁業センサス〕。
ここ最近の推移はより深刻で、1993年に32万人ほどいた漁業就業者は、2018年に15万1701人となり、わずか4半世紀でマイナス53.3%を記録している。この間、就業者の65歳以上割合(高齢化率)は、18.0%から38.3%に倍増した。
新陳代謝が滞る漁村(漁港背後集落)でも高齢化が進み、その率は危機的とされる日本全体の高齢化率をさらに10ポイント強上回って40.0%(2020年)に達した。
水産庁によれば、4088ある漁村の過疎化率は67.7%(2020年)にもなるという。わが国の海岸線延長は3万5000キロメートルを超える〔国土交通省「海岸統計平成28年度版」〕。この、広大な沿岸域の多くの場所で衰退が進んでいることになる。国境域のスポンジ化だ。
これが漁村だけの問題かといえば、決してそうではない。漁村は沖合漁業や遠洋漁業といった周辺国との激しい競争にいどむ漁業に、人材を供給する母体となってきた。その疲弊は沖合・遠洋漁業にじわりじわりと影響をおよぼす。
従来、漁家の“次男三男”は、家業の継承を長男に任せ、自分たちは沖合・遠洋漁船に乗り組み、外貨獲得産業を支えてきた。例えば、海外で活躍するまき網漁船の船主は全国に散らばっているが、乗組員は今でも石巻や釜石など、東北の漁村出身者が目立つ。
しかし、こうした姿がいつまでみられるかは未知数である。漁村出身者は日本の沖合・遠洋漁業の維持に不可欠であるものの、今日、漁家も少子化と無縁ではないからだ。
次男三男の漁業離れだけが問題ではない。長男ですら、「日本海銀行」が破綻するような状況では“家督”を放棄する。高校の統廃合が進み、大学進学率も上昇するなか、進学で漁村を離れることも珍しくない。一度漁村を離れれば、よほどのことがない限り漁村には戻ってはこない。
家族を持つタイミングで教育や医療などの生活環境や、賃金水準等の雇用環境が良好な都市部に流出する事例も少なくない。その結果が、後継者確保率の低迷であった。養殖を除いた沿岸漁業層の後継者確保率は、12.7%(2018年)と惨憺たる状況だ。