尖閣諸島は、長きにわたって日本が所有する7000近い離島の一つに過ぎなかった。しかし、中国がGDPを拡大させ始めた2000年頃から、領土の所有権をめぐり、不穏な空気が流れるようになる。魚釣島への不法上陸、海洋調査船の領域海内での居座り、中国漁船衝突事件。数々の実力行使が日本の一般市民に与えた影響とは……。
ここでは、北海道大学大学院水産科学研究院で准教授を務める佐々木貴文氏の著書『東シナ海 漁民たちの国境紛争』(角川新書)の一部を抜粋。現地の漁師が明かした苦悩を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
尖閣諸島の「国有化」と中台の反発
2012年9月10日、尖閣諸島のいわゆる「国有化」が発表される。
野田佳彦内閣は、「尖閣諸島の取得・保有に関する関係閣僚会合」を開き、「引き続き、尖閣諸島における航行安全業務を適切に実施しつつ、尖閣諸島の長期にわたる平穏かつ安定的な維持・管理を図る」ため、魚釣島・南小島・北小島について「所有権を取得する」ことを決定したのだ〔首相官邸「尖閣諸島の取得・保有に関する関係閣僚申し合わせ」〕。
これは、2002年4月から続けられてきた総務省の所管による「借り上げ」管理方法から、海上保安庁が所管する「尖閣諸島の取得・保有」への政策転換となった。
日本政府としては、東京都が購入するよりも中国側の理解を得られると考えたが、日本側の現状変更を奇貨ととらえる中国政府が、攻めの手を緩めることはなかった。
むしろ中国政府は、チャンスを活かそうと国民を動員しての反日デモを各地で「主催」。2012年8月から9月のデモは、北京の日本大使館への抗議行動だけでは済まず、日系のスーパーや自動車ディーラー等をターゲットとした放火や略奪行為にまで拡大した。
この時、日本は中国と同様、尖閣諸島の領有権を主張する台湾との関係も悪化させる。日本と台湾は、法治と民主主義という価値観を共有し、国としての関係がないなかでも国民同士の交流は拡大していたため、日本国内では困惑の声があがった。
2012年8月には馬英九総統が「東シナ海平和イニシアチブ」を発表し、「釣魚台列島」の台湾領有を前提とした共同経済開発を日本に呼びかける。さらに翌月には、馬総統容認のうえ、宜蘭県蘇澳の漁船約50隻(蘇澳区漁会は58隻の漁船と292人の漁業者が参加と公表)と台湾海岸巡防署の巡視船12隻が尖閣諸島領海内へ侵入した。