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組長は捜索差押に対して「わかりました。すぐ開けます」と返答…九州最大の暴力団・工藤会と対峙し続けた元警察官が明かす幹部の“意外な素顔”

『福岡県警工藤会対策課 現場指揮官が語る工藤会との死闘』より #1

2021/12/18
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 私が初めて野村会長(当時)の本家の捜索差押を行ったのは、平成15年3月だった。前月の2月1日にパチンコ店経営者に対する恐喝事件で服役していた田上会長が出所し、工藤会理事長に就任していた。その直後、工藤会は福岡県警との窓口を一方的に封鎖した。この窓口となっていたのが、今回の野村総裁、田上会長が有罪とされた事件(編集部注:福岡県警で長年工藤会の捜査に従事してきた男性が、退職後に工藤会田中組幹部により銃撃された)の被害者である元福岡県警警部・H氏だ。H元警部は当時、小倉北警察署の暴力犯係長だった。

豪邸、野村会長本家を捜索

 私は、捜査第四課に異動となったばかりだったが、既にある特捜班が平成12年10月に発生したゴルフ場支配人襲撃事件に関し、指示者である工藤会幹部を割り出し逮捕してくれた。この事件は、溝下総裁や野村会長がゴルフ場使用を拒否されたことが原因だったので、この事件容疑で野村会長、工藤会本部事務所の捜索を行ったのだ。

 野村会長本家は、北九州市小倉北区の市立山田緑地公園の入口に位置する2階建て、地下1階の豪邸だ。元々、付近一帯は野村会長の実父の所有地だった。本家出入口の門扉は閉められていたが、敷地内には警察の動きを察知した工藤会幹部や組員らが待ち構えていた。本家統括責任者の工藤会幹部のS組長とはたまたま面識があった。私が八幡警察署の留置場主任当時に、長期間勾留されていたのだ。

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 「何ごとね藪さん」S組長がまず声をかけてきた。「捜索差押に来たよ。S組長は責任者やろう。偉くなったね」。「藪さんこそ偉くなったね」と答えたS組長に私は裁判官の捜索差押許可状を示した。「令状を見せたけ、取りあえず門を開けてくれんね」私がそう言うとS組長は「わかりました」と言って、組員に命じて電動の門扉を開けさせ、私たちは敷地内に入った。

 本家南東側の玄関を入ると、正面は2畳ほどのガラス張り展示室になっており、何かの絵が飾られていたのを覚えている。左が縁側廊下、右が奥の階段まで続く長い廊下となっていた。本家1階は当番室や食堂、応接室になっており、応接室に田上理事長、T幹事長が待ち構えていた。

 ここで田上理事長らと若干のやりとりがあった。

野村邸(2010年撮影) 写真提供=テレビ西日本

 田上理事長は「わしらの家はひっちゃかめっちゃかにしてもらってもいい。だが会長と総裁の所は別だ」と口火を切った。野村会長と溝下総裁方の捜索は特別扱いしろというのだ。そして、二人は「会長は3日前から風邪で寝ている。2階の捜索差押はやめてもらいたい。警察が無理に捜索するというなら、わしらは誰も立会しない」と続けた。

 「工藤会が誰も立ち会わないというなら、市の職員など公務員に立ち会ってもらいますよ」と私が言うと、T幹事長が「市職員などで立ち会いできる者などいない」と続けた。

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