工藤会内で絶対の存在
3月の会長本家捜索時は、以上の経緯で私は野村会長と直接会うことはなかった。会長と直接会ったのは、同年8月に発生したクラブ襲撃事件に伴う捜索時のことだった。
8月28日午前、私は再び、他の捜査員らとともに野村会長本家入り口に立っていた。前回同様、S組長らが待ち構えていたので、私は倶楽部ぼおるど事件で捜索差押に来たと、令状を示した。S組長は「わかりました。すぐ開けます」とすぐ門扉を開けさせた。
この日も野村会長は在宅していたが丁度2階で入浴中だった。野村会長は午前中、隣接する山田緑地公園内を時間をかけ散歩するのが日課だった。本家には多数の工藤会幹部らが集まっており、奥の応接室には田上理事長らも待機しているようだった。その時、入浴を終えた野村会長が2階から降りてきた。それに気付いた組長クラスの幹部数人が、板の間の廊下にうろたえるように正座した。私は立ったままだった。捜査員らが粛々と捜索を行う中、私は案内されるまま、奥の応接室に入った。応接室には田上理事長はじめ、S組長ら数人の最高幹部がいたが、会長の姿を認めるや気をつけし黙礼した。私は野村会長が工藤会内で絶対の存在であることを再確認した。
北九州の治安は工藤会が守っている?
野村会長は白のジャージか何かラフな格好をしていた。
クラブ襲撃事件での捜索に対しては何一つ批判めいた発言はなかった。実行犯である中島組組員Kが逮捕されているので当然と言えば当然だった。Kは逮捕時に圧迫死していたが、それに対して、田上理事長らは「Kは誰が殺したんですか」と尋ねて来た。私が圧迫死であったことを説明しても納得していなかった。
捜索中、野村会長らとはしばらく雑談した。「治安が悪くなったのは警察がヤクザを締め付けるから」、「悪いことをやっているのは不良外国人ばかりだが、北九州に不良外国人がいないのは工藤会のおかげ」等、野村会長と田上理事長は従来の工藤会独特の独善的発言を繰り返した。
野村会長は「昔はお宅と我々は歯車がかみ合ってうまく行っていた。警察が変なことをすれば、わしが知っていればそんなことはさせないが、若い者には暴発する者もおるかもしれん。そうならんのがお互いのためやないですか」等と威圧的発言もあった。
「警察と接触しないということにしたのは工藤会でしょう。警察が工藤会に何か頼むということはあり得ません。そちらが話を聞いてくれというのであれば、聞く耳は持っている。女の子たちをこのような酷い目に遭わせたことは絶対許せない。Kが一人で何でそんなことをしなければならないんですか。会長が知らないと言っても、工藤会の上層部が指示したと見ている。徹底的に捜査します」と私が言うと、野村会長は「警察は当然そう見るでしょうな。うちは関係ないけど」と話した。4-31