工藤会といえば、九州地方で最大級の規模を持つ暴力団であり、時には「カタギ」である一般市民すら攻撃の対象とする悪質さから地元住民に恐れられている。しかし彼らの理屈では、自分たちこそが「不良外国人から地域を守ってきた」のであり、「治安が悪くなったのは警察がヤクザを締め付けるから」なのだという。

 はたして彼らが語るように、本当にヤクザは「必要悪」なのだろうか。現場指揮官として工藤会と対決してきた元警察官の藪正孝氏による『福岡県警工藤会対策課 現場指揮官が語る工藤会との死闘』(彩図社)より一部を抜粋。工藤会の考え、そして、幹部たちの意外な素顔について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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北九州に根をおろす工藤会

 私は捜査第四課管理官という立場で直接、工藤会を担当することになり、以後、現地統轄管理官、北九州地区暴力団犯罪捜査課長、現地本部長という形で北九州市の現場で工藤会を担当してきた。ただ、個々の事件捜査を指揮するのは警部である特捜班長であり、暴力団員の取調べ、個々の情報収集を行うのは係長(警部補)以下の捜査員らだ。 

 このため、私が直接、工藤会幹部や組員、準構成員等から直接、話を聞くということはなかった。だが、それら捜査員の情報報告書には必ず目を通したし、重要と感じた時は直接捜査員から話を聞いていた。

 また、特に野村総裁の自宅である本家や、工藤会本部事務所である工藤会会館に対する捜索差押には何度か現場に赴いた。当時、専従の特捜班長や捜査員らを除き、管理官以上の幹部は一、二年で転勤するのが普通だった。

 暴排補佐を担当したことから、工藤会はしっかりと北九州に根を下ろしている反面、一、二年で転勤する警察幹部の声は市民に届いていないと感じていた。このため、私は現地責任者として常に先頭に立つことを心掛けた。積極的に報道対応を行うとともに、捜索差押などに際しては、最初に私が踏み込み、最後に現場から出るようにしていた。

工藤会の本部事務所である「工藤会会館」 写真提供=テレビ西日本

野村総裁、田上会長の人柄とは

 当時、野村総裁と直接会って話ができる捜査員はいなかったが、直属の部下捜査員の中には、田上会長以下の主要幹部や幹部、一般組員、さらには他の暴力団の主要幹部と直接会って話ができる者もいた。

 それら捜査員を通じ、時に相手側とやり取りすることもあった。暴力団相手だから、時に駆け引きは行った。だが、決して取引はしなかったし、嘘もつかなかった。事件の被疑者が判明しても、工藤会側にその組員を出頭させるよう求めたこともない。警察と暴力団は水と油だ。正々堂々を信条としていた。

 とは言え、工藤会三代目会長の溝下秀男総裁とは、相手側が会いたいと言ってきたので直接会って話したこともあり、野村総裁、田上会長とも捜索差押時に、雑談程度は交わしたこともある。

 その際の印象を述べてみたい。