自分を低く見積もり、卑下してしまっていた
――「妻」と「母」以外の選択肢がなかった?
神崎 専業主婦でしたし、前の夫はスポーツ選手だったこともあり、周りからは「○○選手の奥さん」と言われ、ママ友からは「○○くんのママ」。自分を名前で呼んでくれる人は実家の両親くらいでした。このまま私の人生は終わっていくのかと思うと、モヤッとした気持ちになったんですよ。
――当時は完全に夫のサポートに回っていたのでしょうか。
神崎 パートナーのサポートに喜びを感じる方もいると思いますが、私の場合、歯車が噛み合わなかったんです。
言いたいことがあっても、いつなら大丈夫かなと、相手の顔色を窺いながらタイミングをみはからってしまう。そうしていると、自分の素直な気持ちを思ったタイミングで表現できないから、「私」が溶けてなくなっていくような感じがして。
でも当時の私には仕事がなかったから、何か問題があった時にも「別の道を選択する」ラインにも立てなかった。まあ、結局最終的には準備もできないまま離婚することになってしまったんですけど。
――その後は2014年に再婚されて、40歳のときに第三子を出産。ステップファミリーを築いています。
神崎 仕事という大事なものが見つかって、やっと相手と対等になれました。前も対等だったのかもしれませんが、自分で自分のことを低く見積もり、卑下してしまっていました。
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撮影=榎本麻美/文藝春秋