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ケチケチしたらお金持ちになれない

 おじいさんのお金が残ってた頃に、一度取られた仲見世の店をおばあさんが1軒買い戻した。その後にウチの母親が頑張って3軒まで店を増やすことができた。

 ウチの母親って、決して人にはケチじゃなかった。すごく気前よかった。私によくしてくれた人にはみんなあげちゃう、なんでも。ウチの母親を見てて思うけど、ケチケチしたから金持ちになれるわけじゃないの。これはもう原理原則よ。ある程度細かなお金を撒かなかったら、お金も人もチャンスも寄ってこない。こんな話があるの。

 昭和30年頃、三越が留柄のショールを独占販売してた。今でいうプライベート・ブランド商品。独占販売だから、飛ぶように売れてたわけ。そのショールが、ウチの店に来れば、欲しい人はいつでも手に入った。

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 なぜかと言うと、問屋がこっそりウチに横流ししてくれてたからなのよ。問屋の人たちは、普段からウチの母親にごちそうになったり、子供が生まれたりすると、ご祝儀とか贈り物をもらったりしてた。だから、恩義に感じていたのね。

 他にも、店に配達に来る男の子に「はい、お小遣いだよ、ラーメンでも食べな」って細かなお金を渡してた。ケチケチしないで、人のためにお金をいっぱい使ってた。そういう母親の姿を、私はずっと見てきたのよ。

 細かいお金ではあったけれど、人情が詰まっている温かいお金だった。

施さないと「死に際」もよくない

 うんと貧乏した人でも、「自分が貧乏したから、他人に優しくしよう」って人と、「そんなのイヤ、自分だけがよければいいの」って人と、2種類いるよね。

 貧乏を経験しても、「人によくする人間」と「人に悪くする人間」に分かれる。私なんか、自分が持ってなくてもすぐ人にあげちゃう、江戸っ子だから。

 逆に、全然人にあげないで、カビが生えるまでとってあるような人もいる。誰にもあげない。お金も貸さない。でも、自分だけは贅沢してるみたいなね。

 要するに、自分が見栄を張るトコにはお金使うのよ。自分の立場のためには金は使う。だけど、困ってる人のためにはお金は使わない。

 でも、そういう人の死に際は寂しいもんだよ。私はこの歳になるまで、同じような人を何人も見てきた。やっぱり、自分ができる範囲で人に施さないとさ。人に施さないと死に際もよくない、人間は。