成り上がった人に対し、どこか見下した視線で見る日本人。しかし、「浅草の伝説の女将」こと、冨永照子さん(浅草の老舗蕎麦屋「十和田」の女将)は、そうした人たちの心には「妬み」があると喝破する。その理由を、女将ならではの「幸福論」と併せて紹介する。『おかみの凄知恵 生きづらい世の中を駆けるヒント』(TAC出版)の一部を抜粋。(全3回の3回め。#2、#3を読む)
「身の丈に合わないお金」は持たないほうが幸せ
たとえば、本店を10年間やっていても、無理して支店を出すとすぐ潰れちゃうでしょ。だから、「支店を出すんなら、本店よりもいいものを出せ」ってよく言われる。支店では一番いい板前を使うの。それくらい真剣にやらないとね。自分の身の丈を超えて、安易に店舗拡大しようなんていうのはダメだと思う。
やっぱり、お金も自分の身の丈っていうかさ。今のお金持ちでも、社会的なメセナ(文化・芸術活動に資金提供すること)をしてる人もいれば、してない人もいる。自動的にお金が儲かっちゃうような人なら、メセナをするといいよ。
だけど、私たちのような零細企業や庶民は、地元の町や、せめて自分が関わった人たちのために何かすりゃいい。天下国家を言ったってしょうがない。
だいたいさ、私たちなんかが持ちつけないお金持っちゃったら、すぐ使っちゃうじゃない。お金に縁が薄い人は、絶対使っちゃうんだから。まぐれでお金入ったら、すぐ使っちゃう。人間は持ちつけないものは持たない。持っちゃダメよ。
文久のおじいさん(父方の祖父)は米の相場師だったから、「貧乏人は持ちつけない金は持っちゃいけない」って教訓が、ウチの一家は身に染みてる。
おじいさんは一夜大尽、一夜乞食だったからね。大金が入ると、おじいさんが近所の洟垂れ小僧たちをみんな連れて、牛屋(現在のすき焼き屋)で大盤振る舞いしてたと、慶応元年のおばあさんが言っていた。で、最後は金もなきゃ借金もない。何もない。
まあ、借金がなくて終わったらいい終末だよ、博打打ち(相場師)には。
お金は必要だけど、必要以上に持ちつけないものは持たないのがいい。庶民は、そうやって暮らせってことよ。お金はさ、なるようにしてなるのよ。人間は必要以上に持たないことが一番幸せ。