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麻原の魂は、今もこの日本を彷徨い続けている

 満州、そしてシベリア抑留から生還し、この地の開拓に携わった竹内さんは、オウムが土地を購入すると、反対運動の先頭に立った。

 ちょうどその時期、野山の花を撮影するために購入した一眼レフカメラで、オウムの活動を逐一記録したという。親に連れられサティアンで行われる修行に「行きたくない、行きたくない」と泣く子供たちの声に心を痛めた。

第2、第3サティアン跡地にある慰霊碑。現在は公園になっている ©️八木澤高明

「オウムが来たことで、村の様子が一変したんです。怖がって最初は反対運動をやる人もいなかった。サティアンなどの施設が家の前にできたりね。信者から監視されて、小さい子供がいたにも関わらず離婚した夫婦もいたんです。それが一番の被害でした。私はシベリア抑留中には戦争が終わっても、旧日本軍の階級を盾に威張る士官への反軍闘争、戦後は米軍基地の反対運動もしました。おかしなものには黙っておけない性格なので、オウムに対してもまったく怯む気はなかったです」

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 反対運動が実り、オウムはこの上九一色村からは一掃された。そして、麻原もこの世にはいない。

 ただ、東京の足立区などには、麻原の考えを受け継ぐ団体が今も存在し、複数の団体を合わせて1600人ほどの信者がいるという。日本社会からオウムの残滓は完全に消えたわけではない。まだまだ麻原の魂は、この日本を彷徨い続けている。

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