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「私と妹のダメなところを集約的に…」20年以上愛される“おジャ魔女”のドジっ子キャラができるまで

「おジャ魔女どれみ」プロデューサー・関弘美さんインタビュー<前編>

source : 電子書籍

genre : エンタメ, 映画, テレビ・ラジオ

 12月31日にEテレで映画『魔女見習いをさがして』が地上波初放送される。本作はTVアニメ「おジャ魔女どれみ」放送20周年記念作品で、昨年11月に全国公開された。TVアニメの立ち上げに携わった東映アニメーションのプロデューサー・関弘美さんに、「おジャ魔女」ができるまでを伺った。

©東映・東映アニメーション

15年ぶりのオリジナル作品「何がなんでも当てなきゃいけない」

――『おジャ魔女どれみ』テレビアニメ放送当時を振り返られて、いかがでしょう?

関 『おジャ魔女どれみ』は東映アニメーションが15年ぶり(99年当時)に作ったオリジナル作品です。うちの会社は漫画原作の作品もいろいろ作っていて、そちらの方が確実に当てられるということもあり、オリジナル作品が失敗すると15年ぐらい作れなくなるんです。『とんがり帽子のメモル』(84年)の時がそうでした(苦笑)。

 評判の高い作品でもビジネスとして成功しないと、暫く作れない時期が訪れるということが分かっていたので、「何がなんでも当てなきゃいけないよね」、と。この話が始まったときに「久しぶりのオリジナルものを作れる」と喜んでくれたスタッフさん達と一緒に作ることができた点が、『どれみ』が成功した一番のポイントですね。

©東映アニメーション

――『どれみ』制作にあたって、関さんの狙いやテーマを教えてください。

 子供番組は、普遍的な要素が多いものだと思います。今の子供と大人になった私たちの子供時代をしっかり比較検討して、その中で変わっていない部分を大事に描けば、世代は違っても通じるかな?と思いながら作っていました。

 私や佐藤(順一)監督が子供の時、電話は黒でダイヤル式、公衆電話は赤の時代でした。『どれみ』放送時には家の電話はプッシュホンになって、営業系の社会人たちが携帯電話を持つようになりましたね。こうした道具の類は、時代によって変わります。では、人間の気持ちや心は何がどういう風に変わっていくんだろう? と思い、当時の玩具メーカーにお願いして、子供のマーケティングをしました。

©東映アニメーション
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