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 彼らは、公式な場では「監督」と呼んでいたが、心許せる相手との会話では「野村のおっさん」「野村の親父」と呼んでいた。

「ノムさん」という愛称は、幅広い世代に定着した。世の一般の人から、親しみを込めてそう呼ばれた。いま、愛称で呼ばれるスポーツ選手、監督は滅多にいない。

©文藝春秋

祭壇はバッターボックスの位置に

「会場に入りましょう」

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 ヤクルト番記者時代の同僚とともに案内されたのは〈記者室〉と書かれた扉だった。そこは狭く暗い通路で、防空壕のような秘密基地のような古めかしい空気が流れている。懐かしさに胸が締め付けられながら、グラウンドへ続く階段を下りた。

 記者室の脇を抜けると、今度は階段を数歩昇る。その先にグラウンドが見えていた。列席者はまだ誰もいなかった。

 晴天のグラウンドに似つかわしくない大型テントが、一面に張り巡らされていた。その光景に、「たとえ大雨でも執り行う」という、主催者の強い決意を感じた。

「しのぶ会」当日は、穏やかな冬の日だった 写真:著者提供

「今回の機会を逃せば、もう、たぶん、出来ないと思うんです……」

 息子、克則の妻、有紀子の言葉が脳裏によみがえった。

 プロ野球の世界は、シーズンが長い。キャンプインの2月から日本シリーズの11月頃まで、野球一色の生活を送る。そのため、野球関係者の冠婚葬祭は、12月~1月の2カ月の間に実施されるのがほとんどである。

 新型コロナの感染状況が奇跡的に落ち着いている今を逃せば、2カ月後の2月11日には三回忌を迎える。その時期は、すでにキャンプが始まっている。ゆかりのある野球関係者を招くタイミングは、確かに今回が最後になるかもしれなかった。

 祭壇はバッターボックスの位置に設置されていた。「不思議な場所にあるのだな」。それが第一印象だった。向かい合せで、列席者が座る席が約500あった。バックスクリーンとは反対向きに椅子が並んでいたことは予想外だった。在りし日の野村の映像VTRをバックスクリーンの大型ビジョンで流すのに、なぜそれに背を向けた椅子の配置なのだろう。

 理由をヤクルト球団関係者が教えてくれた。

「祭壇を置く位置は、やはり捕手が構えるホームベースにしましょう、ということになりました。そうなると、列席者は打席側を向いて座ります。野村の足跡をたどる映像をバックスクリーンの大型ビジョンで見ようとすると、どうしても祭壇に背を向けることになる。そういうわけで、バックスクリーンでも映像は流すけれど、祭壇脇に小型モニターを置いて、列席者にはそちらを見てもらうことに落ち着きました」

 6球団の意見交換でそう決まったのだという。なるほど、【生涯一捕手】にとって、最もふさわしい場所は、ホームベースに違いない。

現役時代の野村克也 ©文藝春秋

 会が始まると、江本孟紀、古田敦也、高津臣吾ら愛弟子たちが挨拶に立ち、そして大型スクリーンに、野村の人生を振り返る映像が映し出された。それを野村はきっと、空の上から堪能しただろう。

 1時間半の式典は、弔辞に笑い、うなずき、涙をこぼしていたら、あっという間に終わった。