野球選手だけが“野村チルドレン”ではない
この日のために関西からやって来た嶌村は感慨深そうにため息をついた。
「改めて(野村さんは)偉大な人だと感じた。これだけの人が集まって、監督、奥様ともお喜びになっているでしょう。今シーズン、最後の最後まで優勝争いをしたのは、高津監督のヤクルトと矢野監督の阪神。なんか……監督が天国から導いてくれたような気がしてしょうがないんや。“ノムラ野球”を実践してきた2人だから。そういう野球が1位、2位という結果になるんだな、と。
監督は【財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上】と常々おっしゃっていたけど、今シーズンを見ていると、まさに人を遺している、と実感する。
息子である克則コーチの挨拶が素晴らしかった。あの考えをもって阪神でやってくれたら、という内容だった。心に伝わってきた。克則コーチが来季から久しぶりに阪神に、初めてコーチとして戻ってくる。まさに“ノムラ野球”を見てきた存在。“準備野球”を若い選手たちに叩き込んでほしい」
野村の名言が生まれる瞬間に立ち会ってきた嶌村に、最も心に残っている言葉を尋ねてみた。一瞬、天を見上げて考えると、【覚悟に勝る決断なし】だと言い切った。
野村の誕生日にあたる6月29日、阪神が本拠地・甲子園球場のヤクルト戦で、野村の追悼試合を実施した際、野村の名言を記した特製ノート「ノムラノート」を観客に配っている。そこには、この名言とともに、野村流の解説が、次のように書き添えられている。
「決断力は準備の充実から湧き出てくるもの。どんな結果が出ようと、責任はすべて自分が引き受ける。そう覚悟を決めてしまえば、人間は意外に身軽になれるものだ」
嶌村はいま、それを実感する日々だという。
「この春から球団本部長という立場になって、この言葉が体に沁みている。今シーズン、あのノートを見ながら、『その通りだ』と感じることが、幾度となくあった。決断に至るまで考え抜いたら、その後は覚悟を決めてやるしかない、と」
その言葉を聞いて、“野村チルドレン”とは野球選手だけではなく、球団関係者や番記者たちもまた、その一人なのだと気づかされた。それを伝えると、嶌村の顔がほころんだ。
「その通りだね。球団やクラブは監督と選手が中心だけど、チーム作りをする役割としてフロントマンがいる。高津監督や矢野監督をはじめ、監督の薫陶を受けた選手や監督たちが『ノムラ野球を継承していく』と誓ったように、『我々はフロントマンとして、野村さんの考えを継承していく』という強い使命感がある。野村さんと直接かかわっていない次の世代にも伝えていく。いまの私自身、常に野村さんの考えに立って、球団経営にあたっているつもりですから」
【使命感とは命を使うことだ】
これは、私が好きな野村語録だ。嶌村の姿勢に、同じものを感じた。野村と知り合って24年以上、私自身、この言葉を何度も口に出して己を奮起させてきた。
野村の名言が世の中で廃れないのは、実際に現場を生きる人間、心から実感した言葉を紡いでいるからだろう。
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