12月18日、女優の神田沙也加さんが札幌市内のホテルの高層階から転落し、同日午後9時40分に亡くなった。35歳だった。SAYAKAとして芸能界デビューした14歳の神田さんが、母・松田聖子との関係性などを率直に明かした手記(「文藝春秋」2001年10月号)を追悼を込めて再録する。(全2回の1回目/後編に続く)
(※年齢、日付などは掲載当時のまま)
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「カンヌとかに行っちゃったりしてねー」
今年の5月21日、カンヌ映画祭で『BEAN CAKE(おはぎ)』が、短編部門のパルムドールを受賞したというニュースが飛び込んできた。初めはそれがどれ程すごいことなのか、いまいち実感が湧かなくって、ポカンとしてしまった(笑)。
撮影したのは2年前で、そのころは冗談で、「カンヌとかに行っちゃったりしてねー」などと言っていた。だけど、私はパルムドールという賞がグランプリより上で、最優秀作品賞だなんて知らなくて、「うそーっ、すごい賞なんだねー」と、その日の新聞に教えてもらった感じだった。
ビデオをもう一度じっくり見てみると、改めてこの映画の素晴らしさに気づくことができた。出演者のみんな、カメラさん、デビッド・グリーンスパン監督……みんなの才能が一つになって、パルムドールを受賞することができたのだと思った。この映画に出演できたことは、今でも私の一番の宝物である。
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“松田聖子の娘の沙也加”じゃなくて
今から2年前、中学生になって初めての夏、私は親の仕事の関係でロサンゼルスの日本人学校に通っていた。
私が入った中1のクラスは、全校の中で一番少なくて、9人とか10人だった。小さいころからアメリカで暮らしている人や、オーストラリアとかから来た人たちで、みんな英語をペラペラしゃべることができる。私のように日本から突然入って来て、「えっ、英語、わかんない」という人はいなくて、最初はポカーンと浮いているような気もして、ちょっとした疎外感もあった。
日本では、私の母が松田聖子だとわかると、「V6のサインをもらってきて」とか、そういうことがよくあった。手のひらを返したように、いきなり「お早う、その筆箱かわいいね」と見え見えだったりして、「あれ?」ってガッカリしたこともあった(笑)。だけど、向こうでは、そんな特別扱いはなかった。「私は、あなたのお母さんを前提に付き合っているんじゃないよ」と言われると、ホッとする。“松田聖子の娘の沙也加”じゃなくて、ただの沙也加として自分を認めてもらえて、すごく新鮮な経験をした。