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「V6のサインをもらってきて」神田沙也加さんが綴っていた“14歳の芸能界デビュー”への本当の思い〈母が作りあげた“SAYAKA”にしたくなかった〉

「V6のサインをもらってきて」神田沙也加さんが綴っていた“14歳の芸能界デビュー”への本当の思い〈母が作りあげた“SAYAKA”にしたくなかった〉

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source : 文藝春秋 2001年10月号

genre : ライフ, 芸能

note

「ところで、あのオーディションなんだけど、受かったよ」

 合格したことを知ったのは、オーディションの翌日だった。最初に母のケータイに連絡が入ったようで、普通の話をしている時に、

「ところで、あのオーディションなんだけど、受かったよ」

 と、母はサラッと言った。

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 電報か手紙で知らせてくると思っていた私は、合格したという証拠がないので、「えっ、うそー」「からかってるんじゃないの?」「ホントに?」と何度も聞いた。

 本当に嬉しかった。飛び上がって喜ぶ私に、母も、

「良かったね! 頑張ったね!」

 と、言ってくれた。

神田さんは「マイ・フェア・レディ」の札幌公演に出演予定だったが、18日の公演は体調不良を理由に休演していたという ©AFLO

 8月15日から映画の撮影が始まった。撮影する学校はパサディナという所にあり、そこは私の住んでいる所からはすごく遠くて、毎朝早起きした。初めてメークをしてもらって、用意されていた衣装の制服に着替えて、髪をきゅっと2つに結ぶと、「私はこれから三原よしなんだ……」と、改めて実感が湧いてきた。そして、同時に少し緊張もしてきた。

 廊下に歩いて行くと、カメラや照明がばっちりセットしてあって、「おおーっ!!」と感激して、思わず拍手してしまった。太郎君役の宮川竜一君は、床に座って、「こんにちはー」と、くすくす笑っていた。

「リッチー、着物じゃーん!」

「うん!」

 私を含めて、スタッフのほとんどは、当時小学校5年生だった竜一君のことを「リッチー」と呼んでいた。すっかり定着したニックネームがあって、ちょっぴり羨ましかった。

 いよいよ本番になった。リハーサルはなく、ぶっつけ本番だった。私もリッチーもこの映画が初体験だから、ここはこうしてはいけない、というタブーがわからない。ぶっつけ本番のほうが、かえって真っ直ぐに演技ができた気がする。

 そんなある日、ちょっとした事件が起きた。太郎君が先生に、「この世で何が一番好きですか?」と聞かれ、「……おはぎ!」と答えてしまい、クラスメイトがどっと笑うシーンだった。リッチーの「おはぎ!」という声を合図に、みんな笑い出すのだが、そこで突然、リッチーが泣き出してしまったのだ。

「ここのところ、ずっと撮影続きだったでしょ。色々気をつかって疲れてるだろうし、ナーバスになっちゃったんでしょう。可哀相に……」

 通訳の女性が言った。

 主役であるリッチーは誰よりも頑張らなければいけないし、人一倍責任を感じていたに違いなかった。

 弟のように仲良くなったリッチーに私がしてあげられることといったら、リッチーが教えてくれて2人の大のお気に入りになった“マウンテンデュー”というジュースを持ってきてあげることぐらいだった。通訳さんに連れられて廊下に出てきたリッチーは、しゃがみ込んでずっとうつむいていた。

「大丈夫、リッチー。すごくわかる。そういうふうになっちゃうのよね」

 私はリッチーを覗き込んでそう言った。

後編に続く)

◆ ◆ ◆

【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(毎日16時〜21時、毎月10日は午前8時〜翌日午前8時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン 0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)

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