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source : 文藝春秋 2001年10月号

genre : ライフ, 芸能

母が作りあげた“SAYAKA”にしたくなかった

 ところが、台本の台詞やト書きは、全部英語だった。当時の私は、アメリカ人と日常会話をするのもままならない状況だったが、でも、そんなことで諦めるのはどうしても納得がいかなかった。オーディションまで時間がなかったので、母の助けも借りて、一つ一つ、和訳していくことにした。そして、訳し終わった所を何度も繰り返しながら覚えて、母と一緒に夜遅くまで練習した。

 母は、書斎に椅子を持ってきて私の向かい側に座り、転校生の太郎君の役とかをやってくれた。でも、こんな表情でこう演じたほうがいいんじゃないとか、先輩としての演技指導は一言もなかった。それは、「オーディションを受けるのはあなたで、合格するのも不合格になるのもあなた。あなたの感性で台本を読んで、あなたの演技をすればいいのよ」という考えがあるからだ。私が松田聖子の娘として生きているぶん、母が作りあげた“SAYAKA”にしたくなかったのではないかと思う。

 私は、少し不安だったけれど、変に作らずに、普段のまま、自分らしくオーディションに臨もうと思った。7割ぐらいは母の手助けのおかげである。

©AFLO

「頑張ってね! ママも応援してるからね」

 7月29日、オーディション会場は私が通っている日本人学校の図書室だった。学校に向かう車の中で、私はお気に入りのオレンジソーダを飲んでいたが、学校が近くなるにつれて、緊張のあまり、味が薄くなっていく気がした(笑)。一緒に車に乗ってきてくれた母は、「頑張ってね! ママも応援してるからね」と励ましてくれて、終わるまでパーキングで待っていた。

 フーッと深呼吸をして図書室の中に入ると、背が高くて眼鏡をかけたデビッド・グリーンスパン監督と、通訳の女性が座っていた。私は、挨拶をして、台本をバッグから出した。何だか英検の2次試験みたいだ。ビデオカメラを構えながら、監督が流暢な日本語で言った。

「この女の人(通訳の女性)を、太郎君と思って、ここの演技をして下さい」

 映画監督って、「違う、違う。何やってるんだ」という感じで怖いのかと思ったが、グリーンスパン監督は、穏やかで柔らかい感じの人だった。

「はい」

 緊張しつつも、練習した通りにやった。でもそれだけでは終わらなかった。

「じゃあ、本当は嫌なんだけど、先生に言われて、仕方なく太郎君に話しかける感じでやってみて」

 と、監督が言った。

「仕方なく話しかける!?」一瞬、焦った。でも、私がこの学校に入って来た時、「仲良くしてあげてね」と先生は言った。先生にそう言われた生徒の気持ちを想像して、思ったことをそのままやってみた。

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 最後に自由演技があった。「転校生の太郎君がここに座っていると思って、自由に声をかけてみて下さい」ということだった。ここまできたら、どうしても合格したいと思った。監督の考えている“三原よしちゃん”に少しでも近づきたかった。

 本当に隣に転校生がいたら、最初はちょっと恐る恐るも仲良くなろうとして、すごくぎこちなく話すだろうと思ったら、一瞬のうちに色々と台詞が出てきた。

「とりあえず、教科書は持ってるの?」「なかったら、一緒に見ようね」「次の先生はこうこうでね、こんな先生なんだよ。すごいでしょう」とか……。

 全ての演技が終わると、監督が「Super!」と言った。私は、その言葉の意味はよくわからなかったけれど、なぜだかとても嬉しくなって、「Thank you!」と言って、図書室を後にした。本当は数十分のオーディションだったと思うが、私にはそれが5時間ぐらいに感じられた。でも、最後は楽しく演技をすることができた。帰りの車の中でも、「やるだけやったよ!」と達成感でいっぱいだった。

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