「“それじゃあかんぞ”って、思われてたでしょうね」と語るのは、吉本興業所属の平畠啓史さん(53)。大学卒業後、ふとしたきっかけでお笑いの道へ。数々のバラエティー番組に出演し、お笑いコンビDonDokoDonとして、『爆笑オンエアバトル』では初代チャンピオンに輝きました。2001年に行われた第1回M-1グランプリでは、決勝進出も果たしています。
現在は、静岡では知らない人がいないと言われる超人気番組、『くさデカ』(テレビ静岡)の顔として、20年以上番組を担当。その他、サッカー関連の番組でも多大な知識を生かして活躍しています。1994年の芸能界デビューから、世の中の移り変わりと共に平畠さんが見た世界とは――。(全2回の1回目/後編に続く)
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今は「芸人」という意識がない
――そもそも、平畠さんが芸人になったきっかけは何だったんでしょうか。
平畠 大学卒業後に遊園地で働いていたんですが、そこを辞めてしまって。で、暇やし、一緒に働いていた山口(智充)さんと「何かしよか」となったんです。それで、たまたま吉本の銀座7丁目劇場のオーディションを受けたら受かって、25歳で大阪から東京に出てきた感じですね。だから吉本じゃなくてもどこでも良かったんです。
ただ、「芸人」か……。いや、自分の中で、今はあんまり芸人っていう意識がないんですよね。だから、今聞かれて確かに、って思って。もちろん若い頃は勘違いして、「自分、芸人やぞ!」って思ってたかもしれないです。でも、今はほとんどそういう仕事もしてないので。
芸人さんって人を笑わせることに人生懸けてるし、生き方自体も芸人だったりするじゃないですか。そういう人たちを目にしていると、「俺、芸人やぞ!」ってもう言えないような気がしていて。
――もともとは、芸人という仕事に憧れて?
平畠 子どもの頃からお笑いが好きで、親に連れられて劇場によく行ってたんです。そこで舞台の上に立ってる漫才師を見て、「カッコいい!」って思ってましたね。自分が何か話して、誰かが笑ってくれる。それってやっぱり嬉しいだろうなぁって。だから、どっちかっていうと「芸人になりたい!」っていうよりも、「漫才がしたい!」って感じでした。
――東京では同期の芸人さんもたくさんいらっしゃったそうですが、今でもお付き合いのある方はいますか?