2012年から事故物件に住み始め、心霊現象や怪奇現象を日々追い求める生活も今年で9年目になる。
2016年に真っ黒な顔の写真が撮れて「やった、心霊写真が撮れた」なんて喜んでいると、あるお寺の住職に「タニシさん、あと5年ですべてを失います」と忠告され、今年2021年がそのすべてを失うかもしれない5年目の年となった。
特にそのことについて真に受けているわけでもないけれど、真に受けていないわけでもない。
「目に見える死」を探ってみた
世の中には占い師に「何年後に不幸が訪れます」と言われて悩んでしまう人はたくさんいる。見えない力や見えない世界が存在するのかどうかは実際のところわからないけれど、わからないからこそ不安になる。わからないから、見えない力に頼りたくなる。
古来より人間は死や不幸から不安を取り除くために、祭祀儀礼や祈祷をおこなってきた歴史がある。現代になってもそれがまだ続いているのだから、人間ってのはよっぽど死ぬのが怖いのだろう。
人は誰でも遅かれ早かれ死を迎える。予言や占いが当たろうが当たるまいが、予言されようがされまいが、死んでしまう。
事故物件に関わっていると人の死というものは常に身近に感じられるものだが、しかしそれは他人の死であり、自分の死ではない。2021年、僕はせっかくもらったこの機会、自分にとっての「目に見える死」を探ってみたいと考えた。
知人から遺骨を預かる
2021年3月、知人の女性ハルさん(仮名)から、彼女のお父さんの遺骨を預かった。
僕は以前、ハルさんのお父さんが孤独死をした事故物件の片付けを手伝わせてもらったことがある。
今から二十数年前、両親が離婚し、当時14歳だったハルさんは母に連れられて家を出ていった。残された父はその後この家から離れることなく、一人で過ごし、一人で死んだ。死因は肝硬変。
すでに再婚していた母は父の遺体の引き取りを拒み、唯一の親族であるハルさんが遺体の処理と部屋の片付けを引き受けた。現場は東京のK区にある築50年の団地で、長い間の男の一人暮らしで散々散らかっていた。
遺品は父の私物の他に娘に関する荷物が多かった。ハルさんが中学生の頃に描いた自画像や、子供の頃の写真、クリスマスツリーなどが大切にとってあった。柱には「身長がこれだけ伸びたよ」というのを記録する線もはっきり残っていた。