1985年、バックスクリーン3連発という伝説を残したバース・掛布・岡田の強力打線が原動力となり、阪神タイガースは初の日本一に輝いた。しかし、その年を最後に頂点の座からは遠ざかり、2006年以降はリーグ優勝さえできていない状態が続いている。
その一つの原因に「生え抜き四番打者が出てこない」ことを挙げる野球ファンは少なくない。なぜ阪神では四番打者が育ってこないのか。ここではミスタータイガース掛布雅之氏の著書『阪神・四番の条件 タイガースはなぜ優勝できないのか』(幻冬舎新書)の一部を抜粋。同氏の考えを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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なぜ阪神では四番が育たないのか?
僕以降、「阪神には生え抜き四番打者が出てこない」と言われるが、いま一度、阪神・巨人の新人王や注目選手が、打撃3部門タイトル獲得者に育っているかを、歴史から検証してみる。
巨人では新人王に輝いた原辰徳(打点王)や長野久義(首位打者)が順調に育ち、打撃3部門のタイトルを獲得。
高卒野手は新人王こそ獲らずとも、松井秀喜が長嶋監督の「四番1000日計画」によって、プロ6年目の1998年に初めて本塁打・打点の二冠を手にした。
プロ2年目に原辰徳監督によってレギュラーに大抜擢された坂本勇人も、6年目の2012年に最多安打、10年目の16年に首位打者。いまや日本球界歴代ナンバーワン遊撃手といっても過言でない選手である。
岡本和真もプロ6年目に本塁打・打点の二冠を獲得した。奇しくも3人とも、高卒プロ6年目で一流選手に飛躍している。
一方、岡田彰布、新庄剛志は立派な四番打者だったが、残念ながらタイトル獲得には至らなかった。
久慈照嘉、今岡誠(首位打者、打点王)、赤星憲広(5年連続盗塁王)、鳥谷敬(最高出塁率、1939試合連続出場、通算2000安打)は四番打者タイプではない。
2016年に新人王を受賞した高山俊(日大三高→明大→15年ドラフト1位)も打順は一番や三番。打率3割、首位打者を狙いながら本塁打も20本くらい打つというタイプだ。2年目に二番を任せられ、走者一塁で、一塁手がベースに張りついて広がった一・二塁間を狙って打つバッティングが求められた。