昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

 母親は絵里さんの話を聞き終えると、落ち着きを取り戻すために家の周りを数分歩いてから、意を決して村上に「絵里からすべて聞いた」とLINEを送った。

「すぐに村上から『(自分は)死んだほうがいいな』という返事が来て、絵里にしたことを認めました。別れたとはいえ、最初は家族内で解決できないかとも考え、すぐに警察へは行きませんでした。しかし、それからわずか2週間しか経っていない8月初旬に村上から『そっち遊びにいっていい?笑』というLINEが来て、本当に驚きました。自分のしたことを全く分かっていない。もうこの人はだめだと思い、絵里とも相談して9月上旬に被害届を提出しました」

2011年に3人でとったプリクラ。よく3人で出かけていたという

「おふざけの範囲以上のことはなにもしてない」

 母親が村上の言動に驚いたのはこれだけではなかった。その後の母親とのLINEのやりとりで、村上は絵里さんに対する行為を「おふざけだった」と表現したという。

「被害届を出した後に、警察の方から『村上が何をしたのか、直接具体的に聞き出してほしい』といわれたこともあり、10月に村上に『最後までヤってないやんな?』と確認のLINEをしました。実際、娘が被害のすべてを私に打ち明けられなかった可能性もあるんじゃないかという心配もありましたし。

 その質問をする数日前には村上から謝罪のLINEが届いていて、そこには『ホンマに頭おかしかったと思う』『俺はずっとこれからも反省して生きていくから』と書かれていました。ところが、『最後までヤってないやんな?』という確認に対して村上は、『てか、俺一切言い訳するつもりないけど、おふざけの範囲以上のことはなにもしてない』と返してきたのです。あれだけ娘にひどいことをしておいて、それを“おふざけ”と言い切ったことがショックでした。反省しているようなことを言っているだけで、結局自分のしたことを全然分かっていないんだなと思いました。

 実際、村上はそれ以降も何食わぬ顔で音楽活動を続け、SNSでは仕事仲間との楽しそうな日常や自撮り画像を発信しているような状態でした。怒りを通り越して心底呆れてしまいました」

z