「もうどうしようもない姿かもしれないけど、最後の最後、全部さらけ出してみてもらおうと思いました」
「平成の怪物」と言われ、球史に残る数々の金字塔を打ち立ててきた松坂大輔が、23年間の現役生活に終止符を打った。その引退試合が10月19日、メットライフドームで日ハムを迎え行われた。
「これ以上、治らない体を治療していただくのが心苦しくて…」
引退を発表したのは7月7日。当初は引退試合をやるつもりはなかった。首の痛みに加え、右手の痺れが一向に治らず、ボールを満足に握れなかったことに加え、不甲斐ない自分をさらけ出すのに抵抗があったという。
松坂はそれまで身体の不調を公にせず、通院とリハビリを繰り返しながら、黙々と体のケアに取り組んできた。それでも回復の兆しは見えない。当時松坂は疲労困憊の体で言ったことがある。
「医師や理学療法士、トレーナーが僕の体を治そうと懸命に取り組んでくれているのに、全くよくならない。これ以上、治らない体を治療していただくのが心苦しくて…」
痛みの少ない投球フォームを見つけてマウンドに立ち続けたが…
松坂がケガに苦しみ始めたのは08年から。当初は肩だったが、肩を庇っているうちに股関節を痛め、股関節を庇いながらマウンドに立ち続けると今度は肘を痛めた。そして11年に遂にトミー・ジョン手術を受ける。
それでも痛みは残った。今度は肘を庇っているうちに肩を痛め、次は首と負のスパイラルに陥り、満身創痍の状態になった。
松坂は子供のころから考えることが好きで、投球の仮説を立て、実験し、結果を求め、それを分析し、実際にやれるかどうか確認しながら剛速球や多彩な変化球を編み出してきた。そんな思考から、例えば腕が痛くても、足や肩、指先を微妙に変化させ痛みの少ない投球フォームを見つけることで、マウンドに立ち続けてきたのだ。
それが結果的にブーメランとなり身体を傷つけた。器用さが仇になったのである。
「痛ければ休めばいいのに、痛くないところを探して投げられたから、当初はそんなに深刻に考えていなかった。それに痛み止めの注射を打てば何とか投げられたし。でも結局、患部が治っていない状態で登板し続けたので、体には相当な負担をかけてしまった。ここ数年は、薬を飲んでも痛みで満足に睡眠もとれなくなってしまった」