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2021年の「言葉」

「最後の最後、全部さらけ出してみてもらおうと思いました」 23年間の現役に終止符を打った松坂大輔の“諦めの悪さ”

「最後の最後、全部さらけ出してみてもらおうと思いました」 23年間の現役に終止符を打った松坂大輔の“諦めの悪さ”

先が見えない不安に、車の中で訳もなく叫んだことも…

2021/12/31
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「1億ドルの男」常識破りの快進撃

 怪我をする前の松坂の活躍は、まるで漫画の世界の住人のようだった。98年、横浜高校3年で出場した甲子園で春夏連覇。夏の甲子園ではPL学園を相手に延長17回を一人で投げ切り勝利。決勝戦では京都成章高校を相手にノーヒットノーランを記録する。

©️松本輝一/文藝春秋

 西武ライオンズに入団すると、当時「高卒のピッチャーはプロではすぐに通用しない」と言われていた常識を破り、3年連続最多勝を挙げた。イチローとの初対戦では3打席連続三振に打ち取り「自信が確信に変わった」と吐露。ロッテ黒木知宏と投げ合った時に口にした「リベンジ」が1999年の流行語大賞にもなった。04年には日本シリーズを制覇。

 日の丸のユニフォームにも長く袖を通した。シドニー、アテネ五輪にエースとして出場。06年の第1回WBC、09年の第2回のWBCに出場すると、日本に栄冠をもたらしただけでなく、自身も連続でMVPを受賞する。

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 06年オフ、ポスティングシステム(入札制度)でレッドソックスに移籍した際に西武に支払われた落札金額は史上最高の5111万ドル(当時約60億円)、松坂自身の6年間の契約料と合せ、「1億ドルの男」として米国で大きな注目を浴びた。移籍1年目でワールドシリーズに優勝し、早くも頂点を極めた。2年目にも18勝を挙げる。

©️松本輝一/文藝春秋

ただひたすら1軍のマウンドに戻るために

 だが、栄光の輝きは、松坂の影も大きく象っていた。ケガをした08年からその影が徐々に広がり始める。

 ジョシュ・ベケットと共にレッドソックスのチームを引っ張ってきたエースは、徐々に先発から外されリリーフ起用に。そしていつしかマイナー契約になり、しまいには戦力外通告を受けた。高校時代からマウンドの主役を張ってきた松坂にとっては、この下降線は耐えがたい屈辱だったに違いない。それでも、愚痴や弱音を一切吐くことなく、1軍のマウンドに戻るためただひたすら汗を流し、苦悩は笑顔で覆い隠した。

引退会見

 しかし時には、先が見えない不安に押しつぶされそうになり、車の中で一人、訳もなく叫んだこともあるという。