「事実上の」区間記録と言われる悔しさ
実際に1972年大会の5区区間記録を紐解くと、下記のようなメンバーが並ぶ。記録保持者の浅井さんの記録の突出ぶりと、チームの総合順位の低さに目を引かれる。
◆1972年 5区区間順位 ※カッコ内は所属チームと総合順位
1)浅井利雄 8:22 (小出 44位)
2)蔵満 勇 9:02 (鹿児島実 5位)
3)明翫哲也 9:17 (石川県工 45位)
4)児玉 尚 9:23 (秋田市立 9位)
5)大平利久 9:24 (熊本工 3位)
また、浅井さんの所属する小出高校の区間順位をみても、あまりにも1人だけ突出した記録だと言わざるを得ない。
◆1972年 小出高校(新潟)の区間順位とタイム
1区 45位 36:25
2区 39位 10:43
3区 46位 30:38
4区 44位 28:47
5区 1位 8:22
6区 32位 17:08
7区 42位 17:27
整理するとこういうことになる。
「1972年当時、駅伝という競技では後進地域だった新潟代表・小出高校チームは、出場46チーム中44位と前評判通りに低迷した。ところが実力7番手だったはずの5区の選手が、ただ1人大健闘。わずか3kmの距離で区間2位に40秒の大差をつけ、その後50年間破られないダントツの区間新をマークした――」
際立つ区間記録の「不自然さ」
もちろん懸命に走った浅井さん本人に罪はないが、これだけ不自然な要素がそろうとなると、計測ミスや機器の不調の可能性もあったのではないか。藤井さんも「今はもう笑い話というか、あまり意識はしていない」と笑うが、やはり卒業後しばらくは悔しさもあったのだという。
「周りの方には『コース記録』とか『事実上の区間記録』とは言ってもらえるんですけど、都大路の時期になっても、自分の名前が出ることは一切ないんですよね。区間歴代2位という形でしか記録も出てこない。
もっと問題だと思うのが、これから5区を走るランナーたちも、ほとんどはこの区間記録が“疑惑の記録”だとは思っていないわけじゃないですか。そのうえで『記録を更新したい、近づきたい』と目標にして、日々努力をするわけです。でも、その前提がそもそも正しくないとするならば、とてもかわいそうなことをしている気がします。それについては悔しい気持ちというか、思うところはありますね」