数々の人気モデルを輩出し、女子大生を夢中にさせ、部数80万を誇ったファッション雑誌『JJ』。ファンから惜しまれながら2021年2月号に月間発行は休止となったものの、同誌がこれまで“女のコ”たちに与えてきた影響は計り知れない。
ここでは、自らもJJ的記号のただ中で青春を過ごした作家の鈴木涼美氏が、『JJ』を中心に雑誌ブーム時代を振り返った一冊『JJとその時代 女のコは雑誌に何を夢見たのか』(光文社新書)の一部を抜粋。JJが求めた読者、そしてJJを求めた読者について考える。(全2回の1回目/後編を読む)
※同書および本記事では、女の子をJJの特徴的表記であった「女のコ」と記しています
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読者は素敵な大学名とともに
JJには、アンナや梨花ら代表的なアイコンモデル、実用的な着こなしを紹介する専属モデルたちの他に、大学生や企業勤めの一般女性が数多く登場する。トレンドのテーマカラーを自己流に着こなす姿を披露したり、愛用の私物を紹介したりするなど、代表的な読者でありながら、誌面で提案し続ける存在でもある。この「読者モデル」という素人の採用は、80年代の「Olive」が先駆けだと言われ、女子高生雑誌を中心に読者モデルのみで構成するスタイルも流行した。現在では、読者モデルとしてメディアに登場した女性たちが、テレビタレントや実業家としてその後も名を馳せたりする。しかし、彼女たちが発信するものにスポットライトを当てるその後の読者モデルの考え方とはまた少し違い、JJはそもそも、特定の読者層との相互参照的な関係から誕生した。
そもそもJJが創刊号から押し出し続けた「ニュートラ」という言葉の初出は、1974年のan・an だとされる。神戸を中心に女子大生たちの間で内発的に生まれた、ブランド品を取り入れたファッションがそう呼ばれた。斬新なデザイナーやスタイリストが提案する次なる流行ではなく、そのすでにあったある種のムーブメントを吸収する形でJJの「お嬢さん」が普通に着るファッションというアイデンティティが出来上がったことからも、読者層との参照関係は窺える。それを『女性雑誌とファッションの歴史社会学4』の著者坂本佳鶴恵は「読者層とした女子大学生やOLの一部で流行しているファッションを雑誌が取り上げて、全国的に広めていくという、新しいファッションの形成、紹介の仕方を成功させた」と指摘している。