JJの誌面にも、名前が全国区で知られ、その後の活躍も注目されるような読者モデルは登場した。「淳ちゃん玲ちゃん」の名前で親しまれ2000年5月号~2001年8月号まで連載を持っていた小川淳子、平山玲は代表的な例で、ニュートラ発祥の地とも言える神戸の女子大生だった彼女たちは、JJの理想とする読者層でもあった。
彼女たちほど名前を知られるわけではなくとも、黄金期のJJ誌面には女子大生やOLの姿が長く掲載されてきた。特徴的なのは、高いファッション感度や美貌だけでなく、氏名とともに大学名や職業が記されていること、そしてその固有名詞に顕著な偏りがあることだ。単なる年齢や学生の身分ではなく、個別の大学にそれぞれ着目するスタイルは、JJが築き上げ、その後は他の雑誌でも踏襲されることになったものである。
『non-no』との差別化
あえて大学名を併記することは、第一に高卒のファッションとの差別化の目的があった。前出の『女性雑誌とファッションの歴史社会学』の中で、1990年から2000年、JJの3代目編集長を務めた牛木正樹のこのような言葉が語られる。「僕はやっぱり『non-no』は典型的な高卒文化の雑誌だって思ってます。だから『non-no』とかと比べると、一つ商品的にもレベルが高いとは思いますよ」。娘を短大・四年制大学に通わせる家庭にはそれなりの階層が求められる。JJ創刊時の1970年代半ば、女性の四年制大学への進学率は1割ちょっとしかなく、短大進学率と合わせても50%に満たなかった。
生まれた家庭の階層を示す文言は、誌面にも常に扱われる。「質の良いものを長く着るということを、子供のころから教えられてきた慶應の女のコたち」(1984年2月号)、「毎日使うものはヴィトンがいちばんという母のおすみつきです」(1995年4月号、青山学院大学入学予定の女性のキャプション)、「3大ブランドの魅力と価値を教えてくれたのは両親でした」(1999年1月号)。これらはそれぞれ、女性たちに求められる階層、家庭環境を端的に示している。上流家庭に生まれ、大学までの教育を約束され、両親と仲が良く、育つ過程で両親から女性の心得を学んできた。それこそが、単なる高級ブランドの服やバッグに加えて、彼女たちを「ブランド品」に仕立て上げる材料だ。
高卒ではなく大学生であるというブランド意識に加えて、大学名は誌面で大きな存在感をもって示され、その固有名詞には大きな偏りがある。90年代のJJで、大学名として頻出するのは慶應義塾大学のほか、甲南女子大学、青山学院大学、学習院大学、玉川大学、立教大学など。甲南女子大学は創刊直後から、神戸ニュートラの代表的存在としてそのファッションが幾度となく誌面で紹介されてきた、JJ的伝統校でもある。地域は東京と神戸が中心で、学生数が多くとも早稲田大学や日本大学などの名前はほとんどなく、国公立大学の名前も見かけない。ここにおそらくJJの提示した女として生きるというイデオロギーの具体的な形が現れている。