浅田 菊池寛というのは、スペイン風邪を目の前で見ているし、関東大震災も戦争もくぐり抜けています。
僕はスペイン風邪のデータを持っているんですよ。「天切り松」を書くときに資料を集めましたから。スペイン風邪って、ある日突然、噓のように収束したんです。当時はワクチンもないし、抗生物質もほとんどない。関係あるとしたら、マスクかもしれないよね。日本人はマスクをなかなか取らないから。あとはウイルスの都合だよ。宿主である人類といたちごっこなんだろうな。
「藤十郎の恋」のハードル
小朝 最後に浅田先生のご意見を伺いたいんですけど……。
浅田 なんでしょうか。
小朝 僕はね、菊池寛さんの作品と僕の落語小説をならべた本を出すのが夢でした。それが実現するんですけど、いまひとつ、大きな壁が残っています。「藤十郎の恋」を演(や)りたい。何度か挫折しているのでケリをつけたいです。
昔から江戸は荒事、上方は和事で、坂田藤十郎は元禄時代に和事を完成させた千両役者ですよね。舞台を強引にこっちに持ってきて、江戸の役者でちょっといいのが和事も得意ってことにして、芸のために人妻を口説く設定にできなくはないけれど……。江戸に置き換えると、上方の雰囲気がなくなってしまいそうで。
浅田 うん。難しい問題ですね。
小朝 小説だと説明があるので、イメージがふくらみますよね。落語でやるとしたら、会話で補わなきゃならない。どういう口説き文句を足していったらいいのか。人妻が亡くなったのを藤十郎が知った時の感情を、お客さんにどう伝えるのか。サゲはどうするんだってこともあります。いくつもハードルはありますけど、非常に厄介でして、これを終わらせないと、自分の中で終わらない感じがあるんですよ。
浅田 菊池寛なら、自由に演れって言うでしょうね。換骨奪胎してストーリーが変わるっていうのは、小説家にはさほど抵抗がない。映画にするとなったら、どうやっても2時間の尺にされちゃうじゃないですか。短編なら継ぎ足されるし、長編ならカットされます。
舞台やテレビもおんなじで、それには慣れてるんですけど、言葉の問題には神経質な人が多いですね。