文春オンライン
「ギリギリのところまではいいけど…」“限界突破”する氷川きよし(44)に美川憲一(75)がした「王子様」アドバイス《紅白“落選の瞬間”インタビュー》

「ギリギリのところまではいいけど…」“限界突破”する氷川きよし(44)に美川憲一(75)がした「王子様」アドバイス《紅白“落選の瞬間”インタビュー》

note

――”落選”期間中の1984年に美川さんは大麻取締法違反で逮捕。しかし1991年には紅白の舞台に復帰されています。その間は、どんな風に過ごされていたのでしょう。

美川 いろいろあって、世間からも忘れられて、私はどん底まで落ちました。でもそこから這い上がるしかない。1988年頃はコロッケと仲が良くて、誕生日パーティーをやった時に私のほうから「新しいものまねもどんどんやっていかなきゃだめよ。あんた私のものまねをおやり」って言ったの。「美川さんは難しくてできない」っていいながらも、コロッケはじっと私の仕草を観察していたわ。

Ⓒ文藝春秋

――最初に美川さんのものまねを披露したのはコロッケさんでした。

ADVERTISEMENT

美川 そう。1989年にフジの「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!」でコロッケが私のものまねをして、私が後ろから"本人登場"したの。本当はコロッケに感謝していたけど、敢えて「いい迷惑よ」って毒を吐いたりして(笑)。あの頃はまだ歌手がバラエティー番組にあまり出ない時代だったから、私がご本人登場の第1号で話題になった。1990年には「タンスにゴン」のCMに呼んでもらって、「もっと端っこ歩きなさいよ」と言ったのがウケた。それが紅白復帰に繋がったのよ。

「歌ではなく話題性で選ばれた」

――紅白復帰のきっかけはコロッケさんのものまねだったのですね。そして1991年に「さそり座の女」で17年ぶりに紅白に出場されました。

美川 ヒット曲があって紅白に出るのがそれまでのパターンだったけど、私が返り咲きしたのは、コロッケのものまねとか「タンスにゴン」の勢いで呼ばれたんですよね。実際にNHKから報告を受けたレコード会社の方から「歌ではなく話題性で選ばれた」と聞いていたので、出場できるのはもちろん嬉しかったけど、歌手・美川憲一としてはすごく複雑でした。

――復帰1年目といえば、全身に合計120カラットのダイヤをちりばめた総額3億8000万円の衣装を今も覚えています。

美川 紅白に出ていない時期に、大晦日に自宅で紅白を見ていたら小林幸子さんが派手な衣装で出てたのよね。それを見て「これだけ派手にやるということはNHKも昔と変わったな、面白いな」って思ったの。それで、白組で小林幸子に対抗できるのは私しかいない、ともね。いつかまた私が紅白に出られて、紅組で小林幸子、白組が美川になったら面白いんじゃないかって。

Ⓒ文藝春秋

――まさにその想像通り、美川さんと小林幸子さんの豪華衣装対決は大晦日の風物詩になりました。

関連記事