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「ギリギリのところまではいいけど…」“限界突破”する氷川きよし(44)に美川憲一(75)がした「王子様」アドバイス《紅白“落選の瞬間”インタビュー》

 芸能界の“ご意見番”美川憲一さん(75)がNHK紅白歌合戦のステージに初めて立った1968年は、3億円事件が世間を騒がせていた年だった。デビューは1965年、美少年歌手として一躍脚光を浴び、翌年には「柳ケ瀬ブルース」が120万枚の大ヒット。それでも紅白初出場はデビュー4年目の「釧路の夜」までかかった。初出場から7年連続で出場し、一度は途切れたものの1991年から2009年まで19年連続出場。美川さんと小林幸子さん(68)との豪華衣装対決は毎年恒例の紅白の名物となった。

美川憲一さん Ⓒ文藝春秋 撮影・杉山秀樹

 紅白の“顔”から一転、11年前に突然告げられた“落選”を美川さんはどう受け止めていたのだろうか。今年で芸能生活56周年を迎え、昭和、平成と日本の大晦日を盛り上げてきた美川さんが近年の紅白について語った――。

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――美川さんはこれまで紅白歌合戦に26回出場していますが、紅白はどのような存在でしたか。

美川 歌手、特に新人歌手にとってとても大事な番組だと思います。昔も今も紅白は1つのステータスだし、出ることによって自信もつく。私なんか紅白に出るまでは月給15万円だったのに、1968年に初出場したら月のお給料が300万円になったんです。すぐに外車を買ったりして使ってしまいましたけど(笑)。

はじめての落選は「あっそう」

――紅白という番組は歌手にとって夢なのですね。

美川 当時は出場組数も今より少なくて、曲がヒットしても新人が入る余地がなかったんですよね。それだけに“落選”はショックです。「人気がなくなって、落ちていく下り坂の人」みたいな扱いになるんですよね。でも今思えば、そのショックを受け止めるのも大事。またがんばっていこうと気合が入りますからね。

Ⓒ文藝春秋

――美川さんは初出場から7年連続で出場した後、1975年に“落選”を経験しています。

美川 11月頃に「NHKのど自慢」の出演で地方へ行っている時に、事務所のスタッフに「紅白終わったから」と告げられました。落選すると、泣きわめいたり仕事が手につかなかったりする人もいたそうですが、私はいつか紅白出演はなくなるなって腹をくくっていたんで。あまり悲しいとも思わず「あっそう」って。顔色ひとつ変わっていなかった、と後で言われました。