昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2021/12/30

「将棋は終わりがない。その中で、いつか悔しさを忘れていくことが怖い」

 新人王戦優勝の記念対局は、新王位になった師匠との対戦になった。研究会の日、木村はうれしそうに「あなたとやることになっちゃったよ」と言った。おどけた声で「香車を落としてやろうかな」と笑った。高野は静かに「そうされたら、どうしましょう」と答えた。

 新人王戦記念対局は、2005年までは名人と優勝者による公式戦であったが、06年より非公式戦となり、タイトルホルダーと優勝者の対局になった。木村は自身が新人王戦で優勝したときに、森内俊之名人(当時)と記念対局を指している。今回は初めてタイトルホルダー側として、愛弟子の挑戦を受けることになった。

 高野は「将棋は終わりがない。その中で、いつか悔しさを忘れていくことが怖い」と言う。木村の将棋を思った。振り絞るように、精魂が尽き果てるまで戦い抜く。その姿が観るものを魅きつけてやまない。高野は盤を挟んで、木村と最も長い時間を向き合ってきた。彼が決して正座を崩さないのは、自戒のためではない。それは師への敬意の表れである。

 新人王戦の優勝には、師のタイトル獲得の影響があったのかと聞いた。

「もちろん自分も頑張ろうという気持ちになりました。でも、実はそれはそんなに大きなことではないんです」

 意外な言葉の後に、こう続けた。

「師匠はずっと最前線にいるじゃないですか。私が弟子になる以前から、いまも将棋界の最前線で戦っている」

 高野の言葉から、木村が戦い、敗れ、再び立ち上がる姿をどれだけ見つめてきたのかを知った。13歳で弟子になったときから、師の姿は高野にとって支えだった。そして、苦しみでもあった。遠い背中を見つめて思う。いつか自分は、師と同じ舞台に立つことができるのだろうか……。

 記念対局の朝、木村は特別対局室で弟子と向き合いながら、どこかソワソワしていた。香車を落とそうかなと言った余裕は感じられない。一方、高野は無心に並べられた駒を見ている。木村は記者に、自分が新人王戦で優勝したときの担当者のことを聞いていた。その方は今年定年を迎えられたそうである。

 

 午前10時に始まった対局は、午後5時22分に幕が下りる。弟子の高野の勝利だった。終局後、二人から笑顔がこぼれる。多くの棋戦を取材したが、対局室の空気がこんなにも和んでいるのは初めてだった。いつもは負けて悔しそうな表情を見せる木村が、うれしそうに質問に答えていた。高野の指し手を褒めながら、「香車を落としてやろうかと思ったけど、こっちが弟子入りしなきゃな」と周囲を笑わせた。

 そして高野はこの日も終日正座を続け、感想戦でも崩すことはなかった。

写真=野澤亘伸

◆ ◆ ◆

 木村一基九段と高野智史六段の物語は、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)で全文が読める。また、「将棋世界」の連載をまとめた同書には、計8組の師弟が登場する。

絆―棋士たち 師弟の物語

野澤 亘伸

マイナビ出版

2021年3月11日 発売

その他の写真はこちらよりご覧ください。

この記事の写真(15枚)

+全表示

この記事を応援したい方は上の駒をクリック 。

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春将棋をフォロー
z