「将棋は終わりがない。その中で、いつか悔しさを忘れていくことが怖い」
新人王戦優勝の記念対局は、新王位になった師匠との対戦になった。研究会の日、木村はうれしそうに「あなたとやることになっちゃったよ」と言った。おどけた声で「香車を落としてやろうかな」と笑った。高野は静かに「そうされたら、どうしましょう」と答えた。
新人王戦記念対局は、2005年までは名人と優勝者による公式戦であったが、06年より非公式戦となり、タイトルホルダーと優勝者の対局になった。木村は自身が新人王戦で優勝したときに、森内俊之名人(当時)と記念対局を指している。今回は初めてタイトルホルダー側として、愛弟子の挑戦を受けることになった。
高野は「将棋は終わりがない。その中で、いつか悔しさを忘れていくことが怖い」と言う。木村の将棋を思った。振り絞るように、精魂が尽き果てるまで戦い抜く。その姿が観るものを魅きつけてやまない。高野は盤を挟んで、木村と最も長い時間を向き合ってきた。彼が決して正座を崩さないのは、自戒のためではない。それは師への敬意の表れである。
新人王戦の優勝には、師のタイトル獲得の影響があったのかと聞いた。
「もちろん自分も頑張ろうという気持ちになりました。でも、実はそれはそんなに大きなことではないんです」
意外な言葉の後に、こう続けた。
「師匠はずっと最前線にいるじゃないですか。私が弟子になる以前から、いまも将棋界の最前線で戦っている」
高野の言葉から、木村が戦い、敗れ、再び立ち上がる姿をどれだけ見つめてきたのかを知った。13歳で弟子になったときから、師の姿は高野にとって支えだった。そして、苦しみでもあった。遠い背中を見つめて思う。いつか自分は、師と同じ舞台に立つことができるのだろうか……。
記念対局の朝、木村は特別対局室で弟子と向き合いながら、どこかソワソワしていた。香車を落とそうかなと言った余裕は感じられない。一方、高野は無心に並べられた駒を見ている。木村は記者に、自分が新人王戦で優勝したときの担当者のことを聞いていた。その方は今年定年を迎えられたそうである。
午前10時に始まった対局は、午後5時22分に幕が下りる。弟子の高野の勝利だった。終局後、二人から笑顔がこぼれる。多くの棋戦を取材したが、対局室の空気がこんなにも和んでいるのは初めてだった。いつもは負けて悔しそうな表情を見せる木村が、うれしそうに質問に答えていた。高野の指し手を褒めながら、「香車を落としてやろうかと思ったけど、こっちが弟子入りしなきゃな」と周囲を笑わせた。
そして高野はこの日も終日正座を続け、感想戦でも崩すことはなかった。
写真=野澤亘伸
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木村一基九段と高野智史六段の物語は、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)で全文が読める。また、「将棋世界」の連載をまとめた同書には、計8組の師弟が登場する。
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