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「師匠はずっと最前線にいるじゃないですか」高野智史は木村一基の“遠い背中”を見つめる

「師匠はずっと最前線にいるじゃないですか」高野智史は木村一基の“遠い背中”を見つめる

『絆―棋士たち 師弟の物語』より

2021/12/30
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 木村にとって、高野は最初の弟子だった。「実は五段のときにNHKの将棋講座をやりまして、番組の中で『弟子を募集します』と言ったんですよ。でも誰もこないの。一人も。人格に難ありと思われたのかな(笑)」。

 好きな鳥料理をつまみに、ビールを飲む。

「いつか一人くらい弟子を育ててみたいと思っていたんです。それで、取るからには方針を決めようと思って。その後の子たちと教え方が違うんじゃいけないから。必ず一対一で指す時間を作ろうと思いました」

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 バーのママからおつまみにチーズを勧められる。でも木村は苦手だった。「あったかいチーズなら食べられます」と言うと、ママは笑って代わりに枝豆を差し出した。

「高野君は、かなり意志は強い子だなと感じました。最初からずっと正座を崩さない。どんなにつらくても絶対にやめない。かたくなに。自主的にやっているのがわかって、注意はしなくなりました。理由は聞きませんでしたが」

 毎回、言われた以上の勉強は必ずやってきた。晩学だが、この子は伸びるかもしれないと木村は思った。

「棋士にならなければと思ったのは、師匠にしていただいたことを無駄にできない気持ちからでした」

『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)

 高野がプロになる意志を固めたのは、大学に入ってからだった。

「私はそんなに自我の強い子ではなかった。入会したときにもプロになるとか、将来のこととかもあまり考えていなかった」

 16歳で二段になった。しかし、ここから三段までに3年8ヶ月を要した。

「順調だと将来のことってあまり考えないじゃないですか。壁に当たって止まると、真面目に考えますよね。自分を見つめ直すというか。師匠はこんなに一生懸命教えてくれているのに、自分の気持ちは曖昧で……」

 大学の友人たちが就職先の希望について話していると、一人寂しさを覚えた。この時間を将棋の勉強に当てていたらと思うと、キャンパスにいることが師に対して後ろめたく感じた。

「人より自分の将来について考えるのが遅かった。棋士にならなければと思ったのは、師匠にしていただいたことを無駄にできない気持ちからでした」

 大学2年のうちに三段に上がれなかったら、奨励会を辞めようと思った。しかし、そのことを誰かに話すことはなかった。

師は悩む弟子に言葉をかけず、陰から努力を支えた

 木村は「悩んでいるのは指していればわかりましたけどね……。明かに暗かったから」と言う。でも、あえて言葉をかけることはしなかった。ただ、伸び悩む弟子のために、金井恒太五段(現六段)と黒沢怜生三段(現六段)に声をかけ、高野を含めた4人での研究会を始めた。金井と黒沢は高野と同じく埼玉県在住であり、場所は大宮将棋センターで行われた。木村は自宅の江東区から大宮へ通った。

 苦しいときの心情を高野は長距離走になぞらえる。

「走ってつらいと感じるとき、他の人はどれくらい苦しい中で走っているのだろうかと考えます。授業で走って、周りが『つらい、つらい』というじゃないですか。みんなが思っているつらさと、自分が思っているつらさは、本当に一緒なのかなって」