「コロナ禍なので、家庭訪問は控えさせていただきます」
数時間後、業者は、福祉関係者が残したと思われるある書類を見つけ出した。それは、コロナ禍の切ない刻印だった。
「『コロナ禍なので、当面の間、家庭訪問は控えさせていただきます』って書いているわ」
業者はその手紙の文面を読むと、寂しそうにそうつぶやいた。
男性は生活保護を受給していた。親族など頼る人のいない男性にとって、福祉事務所の関係者だけが唯一社会との接点だったようである。
そのわずかな繋がりの線が、このコロナ禍によってプツリと切れてしまったことを、その手紙の内容は示唆していた。コロナ禍でなければ、少なくとも遺体はここまでの状態にならなかったかもしれない。そう考えると胸が痛んだ。そして、想像していたとおり最後まで遺族が現れることはなかった。
孤独死による特殊清掃費用がかさみ懐を痛める大家
大家の男性は、住人たちが全ていなくなった後は、建物の取り壊しを考えていると呟いた。建物は経年劣化で老朽化しているし、これだけ頻繁に孤独死が起きている。その一方で、風呂無しアパートということもあり、家賃もあまり高く取るわけにはいかない。
日本少額短期保険協会の第6回孤独死現状レポートによると、孤独死の原状回復費用の平均損害額は38万9594円。家具などの残置物処理費用の23万5865円と合わせると、60万円を超える。大家としては孤独死が起きることで多大なる特殊清掃費用もかさみ、懐が痛むのが実情なのだ。
もちろん家で一人で亡くなることが悪いわけではない。
在宅死は、私も含め一人暮らしであれば誰にでも起こり得る。本質は凄惨な「死」の現場ではなく、そのずっと手前にある。
コロナ禍になり、人と人とのソーシャルディスタンスが叫ばれる時代になった。しかし、繋がりを持ち続ける人は、SNSなどを駆使して人間関係を深める一方で、必要なコミュニケーションにありつけない弱者はますます社会の外へと追いやられる状況になっている。
孤独死現場には、そんないびつな日本の縮図ともいえる光景が広がっている。
最近は、孤独・孤立の取材を重ねていると、何十年もひきこもった末に、高齢の親が亡くなり、孤独死したという事例に遭遇することが増えた。そしてご遺族に話を聞くと、ご本人が社会で何らかの挫折やトラブルに見舞われて、生きづらくなってしまった例が多かった。
だから孤立ゆえの死は他人事ではなく、私たちの未来の姿でもある。私自身もひきこもりの末に、誰にも頼れず孤独死していたかもしれないからだ。