耐えきれなくなったら、すべてをお願いできるという安心感
契約をしても本人がどう親と関わっていくかは、そのつど考えていけばよいことで、変更もできる。
認知症や介護がどうなっていくのか、先は誰にも見えない中で、とりあえず耐えきれなくなったら、すべてをお願いできるという安心感に救われるのかもしれない。
遠藤氏は続けた。
「家族と他人の間をつなぐ2.5人称の関係が私たちに求められていることだと思いますね」
たしかに家の問題を第三者の他人には相談も頼むことも憚はばかられるもの。また、理解もせずに家族の問題に立ち入られることも不快なものである。他者と家族を繋ぐ存在が必要かもしれない。
一時の憤りの感情のままに、一気にすべてを委ねてしまい、後になってから「一体、自分は何をしたかったのか?」とわからなくなる依頼人もいるという。
たしかに、介護だけでなく、親の看取りや葬送まですべて人に委ねるには、それなりの覚悟が必要だ。
それまでに充分に苦しんできた人が、世間からの重圧に押しつぶされることなく、自身や次世代を守るための決断をすることは必要だと思うが、自分自身の気持ちにはしっかり向きあって決めてほしい。
家族代行業にどこまで頼めるの?
NHKの番組の最後で信田さよ子氏が語った言葉が思い出される。
「親を捨ててもいいですよといってあげると、不思議とそういう人は親を捨てないものなんですよね」
家族代行という仕事が、そうした悩みを抱える人のセーフティーネットになっていることは間違いないだろう。親子2世代の共倒れを防ぐには、代わりになってくれる受け皿の存在が必須である。
依頼者は自分に代わってくれる存在を得て、初めて今後の関わり方を考える余裕と時間が持てるのかもしれない。
その家族が背負ってきた深い事情も理解せず、何も手を貸すこともせずに、ただ家族代行に頼る人を非難することこそ、非情な行為なのではないだろうか?
「私たちの仕事は、家族の関係を切ることが目的ではありません。家族が出来ないことをお手伝いして、家族を救う仕事だと自負しています」
と遠藤代表はきっぱりと語った。
2016年に一般社団法人LMNを設立した当初は、子どものいないシニアのために家族代行をすることを主にスタートして、ケースワーカーからの相談と紹介がほとんどだった。
LMNのLは「生活のlife」、Mは「医療のmedical」、Nは「介護のnursing」を意味する。家族からの相談でも、海外など親と遠く離れて暮らしているために、いざという時に世話に行かれない事情を抱えた依頼者が多かったという。
「遠隔地との距離」と同じように、深刻な問題を抱えた家族には、どうにもならない「心の距離」があることを社会が受け止めないと、当事者はますます孤立するばかりだろう。