親からの虐待・ネグレクト・過干渉などに悩んできたとしても、「葬式は遺族の責任だ」という考えは未だ根強い。関係性に問題を抱えた家族は、親の最期をどのように迎え、残された者はどのような思いを抱いているのだろう。

 ここでは、日本葬送文化学会常任理事の橘さつき氏による著書『絶縁家族 終焉のとき ―試される「家族」の絆』(さくら舎)の一部を抜粋。“絶縁家族”とその葬送について、7年に渡る取材から見えてきた実態を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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親の死で解放される子ども

 臨床心理士の信田さよこ氏は親に苦しむクライアントが、対象となる親が亡くなると、長年の親との確執から解放されて、清々しく明るくなるのだと、いろいろな著書でも述べている。

 そんなとき、信田氏はカウンセラーとして、「よかったですね」と言葉をかけるという。

 他の誰も言ってくれない、そのひと言がクライアントの心を救うのだ。クライアントはカウンセリングをアジール(解放区)として求めて来ているから、クライアントが親の死を喜べば、カウンセラーもそれをともに喜ぶ。

 不思議なことに、そうすることでクライアントに何かしらの変化が表れ、親の死に微妙な距離感を獲得し始めるのだという。

 信田さよ子氏の著書『家族と国家は共謀する』から、父親を亡くした男性のエピソードをここで紹介したい。

 彼(38)は信田氏のカウンセリングを定期的に受けてきたクライアントだ。2カ月ぶりにカウンセリングに訪れた彼は、今まで見せたことがない晴れやかな顔でやって来て、父親が亡くなったと言った。

 それから3週間後に彼が信田氏に寄せた手紙には、彼が父を許すわけでもなく、父の死を悼むわけでもないが、そこにはたしかに父への祈りが満ちていた。

 一人暮らしの父親が亡くなっているのを発見したのが彼だった。市役所の職員から第一発見者が家族でないと不審死になると言われて、彼は頑張ってマンションの扉を開けた。痩せた父が全裸で亡くなっていた。