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また、進むべき行く先もわからないままに、その道の途中で佇たたずんでいる人も、きっとこれを読んで、何かを遠くに感じたのではないだろうか?
そこまでたどり着くまでの長い長い、孤独な道のりを想う。
親や家族との関係に悩んできた私たちが求めているのは、世間が望む有り得ない解決でも復讐でもなく、こんな心境になれる家族戦争の終焉なのではないだろうか……。
弔いの場での家族の確執
人の命の灯火が消えるときに、なぜ家族でさえも、その「死」に向き合って弔うことができないのか?
それが残念ながら私が父を送ったときに感じたことだった。何か大事なものが、自分が育った生い立ちのなかで欠けているのを感じた。
しかし、取材をしていて、私だけでなく「弔いの場」がその家族の確執をさらに深めている場合が珍しくないことがわかった。
親の葬儀を家族から知らされなかった人もいた。親の葬儀を知らせても、来ないきょうだいもいた。きょうだいから一言の断りもなく親の墓を改葬してしまい、新しい埋葬先も知らされていないという話も耳にした。
身内の「葬送」の場が時には家族の確執をさらに深め、排斥の手段に利用されるのは、昔からあり、珍しくないことだと知った。
近年、家族だけで静かに見送りたいという希望が増え、家族葬が主流になってくると、世間や親族の目を気にすることもなく、それは、さらにあからさまに行われるようになっているようだ。
葬儀に呼ばれないきょうだいは、いなかった存在にされても、その家族以外は誰もそれを知りようがない。