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2022/01/07

source : 文藝春秋

genre : エンタメ, 映画

「もうちょっと低いほうが自然な声で歌えたなと(笑)」

――今回のPommeさんのカバーのように、世代や国を超えて歌い継がれる「いつも何度でも」ですが、その理由は何だと思いますか?

木村 どうなんでしょう。パッと聴いたら、現代のトレンドとはかけ離れた感じの曲なんですけどね。やっぱり、映画で使っていただく機会がなかったらこんなに大勢の方に聴いていただくことは絶対になかったはず。まずは宮崎さんの作品が世界中で愛されていることが最大の理由だと思います。その上で強いて言うならば、すごくシンプルな曲であること。それと、パッと自然に浮かんで出来た曲だからこそ、聴く方の耳にも自然に入っていくのかな。

――至極納得です。実際、ふいに歌いたくなりますから。ただ、自分にはキーが高くてなかなか歌えないですね……。

木村 キーはFなんですけど、私も本当は半音下げたEで歌いたかったんです。でも、そうするとシャープがいっぱい付いてしまってライアーだと難しくて弾けないんですよね。仕方なくFで歌っちゃったんですけど、もうちょっと低いほうが自然な声で歌えたなと(笑)。

「日本から離れたい」16歳でのアメリカ留学

ライアーを演奏する木村さん

――木村さんの演奏スタイルといえば、竪琴のライアーですね。大阪府出身の木村さんは、神戸女学院高等学部在学中だった16歳の頃にアメリカへ留学、そのままカリフォルニア州立大学に進んでピアノを専攻されたそうですが、幼い頃からピアニスト志望だったのですか?

木村 いいえ、ピアノは習っていただけで。アメリカに行ったのは、とにかく日本から離れたかったんです。上下関係の厳しさや建前と本音を使い分ける、日本の習慣に強い違和感を覚えた時期がありまして。でも、たとえばアメリカのニュース番組を見る機会があると、アナウンサーが醸し出す雰囲気が何とも気さくでフレンドリーに思えた。それで、アメリカのほうが自分に合いそうだなと考えて、向こうに行く機会があればなぁって。

木村さんのご自宅でお話を伺った

――日本への違和感から始まった留学計画だったんですね。

木村 だけど、当時は簡単に留学できる時代でもなくて。交換留学生制度はありましたけど、対象の最低年齢が高2からでした。できるだけ早く行きたかったから、アメリカの新聞社の住所を調べて30社に手紙を出しました。

 18歳未満だと、ホストファミリーのような保護者が必要なんです。なので、「ホストファミリーになってくださる方はいませんか」という募集を紙面に載せてくださいと手紙を送ったら、カリフォルニア州フレズノにある地元の新聞社だけが取り上げてくれて、さらに15家族ほどが手を挙げてくれました。