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依存症子が明かした“堕ちたきっかけ”「女子高生時代にイラン人から『痩せる薬あるよ』と…」《整形、薬物、闇カジノ…依存症のリアル》

依存症子に『文春オンラインTV』が直撃インタビュー! #1

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キャバ嬢時代に誘われて踏み入れた「闇カジノの世界」

Y記者 高校生の頃から、卒業してキャバ嬢をしている時期に、いろんな薬物を使っていたとおっしゃっていましたけど、闇カジノにもハマっていたんですよね。これはどういう経緯で?

依存症子 キャバクラなのでいろんなお客様がいらっしゃるんですけど、お客様に「カジノ行かない?」って誘われて、一緒に行ったのがきっかけです。

Y記者 そこはどういうカジノだったんですか?

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依存症子 すっごいだだっ広くて、バカラ台が2台に、ルーレットも2台と、スロットマシンが6台ぐらいあったと思います。初めのうちは、バカラのルールを知らないので、後ろで見ているだけ。何でも食べ放題だし、飲み放題だしというので、ただご飯を食べていたような。ちょっと怖かったんですよね。違法薬物に手を出しておいて何なんですけど、ここでお金を賭けるということが初めは怖かった。

――それはお金を損してしまうという恐怖ということですか?

依存症子 体の中に違法薬物が入っている時に行ったこともあったので、ここでもし警察が入ってきたら、違法賭博と薬物両方で捕まっちゃうな、みたいな。だったらちょっと見てるだけにしておこう、みたいな感じ。

――そっちの怖さなんですね。

依存症子 そっちの怖さですね。

Y記者 でも、実際は慣れてきてプレーするようになっていっちゃう。

依存症子 そうですね。

Y記者 どれぐらいのお金を賭けるんですか?

依存症子 私はそこまで派手に賭けたりはしなくて。使った金額で言うと、1日30万ぐらいがマックスかな。

Y記者 十分多いかと(笑)。

30歳頃の湯浅さん。現在もこの入れ墨が残っている

依存症子 (笑)。うちは両親がギャンブルすごい大好きで、私は小っちゃい頃からパチンコ屋に連れていかれていたんです。ちょっと今では考えられないんですけど、そういう子どもが結構いっぱい居たんですね。私は定規を持って、羽根物っていうパチンコ台の釘を見るような子どもだったんです。お母さんが怖いので「この台まっすぐだから、お母さん、ここ座りなよ」みたいな。幼い頃にギャンブルに対する素地みたいなものがもうできあがっていて。スロット、パチンコも普通にやりましたし、そこからのカジノ。

――それが20代前半ぐらいですか?

依存症子 そうですね。

覚醒剤でガリガリに…初めての整形は豊胸手術

――その頃から整形もするようになったと。

依存症子 はい。

――きっかけというのは何だったんですか?

依存症子 私、もともと決して太ってはいなくて、むしろガリガリだったんですよね。ガリガリだったのに、イラン人から「痩せるよ」って言われて覚醒剤をなぜか買って、さらに痩せてしまって。痩せているから、当然胸もないわけですよ。それで豊胸したのが初めての整形です。

 私、もともと不細工な顔ではなかったと思いますが、胸をきっかけに、ある意味自傷行為みたいな感じで整形が止まらなくなったって今は分析しています。私はもともと二重だったんですけど、この二重の幅をもっと広くしたいとか、鼻も低くなかったのにヒアルロン酸をすごい打っていて。ヒアルロン酸も1本3万とか5万とかするので、だったらプロテーゼを入れちゃえって。あと、あごにもプロテーゼを入れました。

©️文藝春秋

 すごく記憶に残っているのは、鼻って局部麻酔でやるんですよ。それで切開したらヒアルロン酸がドボドボ出てきて、手術台に乗っている時に医師が言った言葉をすごく覚えてます。「これ、入れすぎだよ、ヒアルロン酸」って。それで「あ、そんな入ってるんだ」みたいな。