文春オンライン

依存症子が明かした“堕ちたきっかけ”「女子高生時代にイラン人から『痩せる薬あるよ』と…」《整形、薬物、闇カジノ…依存症のリアル》

依存症子に『文春オンラインTV』が直撃インタビュー! #1

note

記事の反響「いい意味でも悪い意味でも…」

――今は具体的にどういった活動をされているんですか? 

依存症子 今はアメブロで、1週間に1回、必ず金曜日にブログを更新しているのと、「碧の森」というウェブサイトを運営しています。ほかには依存症者と依存症者のご家族、受刑者のご家族へ向けて情報発信をしたりとか、私自身がカウンセラーとして、そういうご家族の相談に乗るということをやっています。

――それは何年前から始めたんですか?

ADVERTISEMENT

依存症子 本格的に立ち上げたのは去年の8月からです。

――今のところ反響はいかがですか? 

依存症子 文春オンラインさんに記事にしていただいてからすごく増えまして。そういう存在の人間が居るんだということを、いい意味でも悪い意味でも知っていただけたかなとは思います。

©️文藝春秋

――依存症子さんの体験について、改めて振り返るにあたって、次の4つのポイントに沿ってお伺いしていきたいと思います。

(1) 虐待されていた幼少期

 

(2) あらゆる違法薬物にハマった10代後半から20代

 

(3) 幸せな結婚生活から一転、33歳で受刑者に

 

(4) 絶望的な人生から立ち直った理由

母からの虐待「着物の帯で柱にグルグル巻きに…」

 まず1つ目の、虐待されていた幼少期ということなんですけれども、どんなご家庭に生まれ育ったんですか?

依存症子 一般的ではない、昭和の家庭で。私は一人っ子なんですけれども、幼少期からあまり母と触れ合った記憶がなくてですね。母は病気とか事故がすごく多かったんです。今でこそ不治の病ではなくなりましたけれども、結核にかかったり、ヘルメット着用の義務がまだ原付バイクにない頃に、車でふっ飛ばされて頭を強打して、人格が変わってしまったりとか。

 一緒にいるときにはひっぱたかれたり、着物の帯で柱にグルグル巻きに縛り付けられたりしました。子どもなので疲れたら寝ちゃうんですけど、泣き叫んでもほどいてくれないし、その場でオシッコ漏らしちゃったりとかもしました。

 そういうのをたぶん父は知らなかった。

――愛情はほとんど感じられなかった?

依存症子 母からは感じなかったですね。父は、母が結核とか頭のことで入院している間、たぶん私をかわいそうに思って、いろいろ買い与えたんです。ゲームとか、ファミコンとか。私が欲しいと言ったものは何でも買い与えてくれました。

過去の湯浅さん

――金銭的には裕福だったのでしょうか?

依存症子 いえ、決して裕福ではないんですけれども、父は職人をやっていて土日休みでもなかったので、普通のサラリーマンよりかは、少しは収入があったかなという感じですかね。