天才が初めて当たった壁
増田は順調に昇級・昇段を重ね、14歳で三段リーグに入る。1期目にチャンスを迎え、史上5人目の中学生棋士誕生が期待されたが、リーグ最終日に敗れて四段昇段を逃した。
三段リーグで1期目の昇段を逃した後、増田は将棋に迷いが生じる。
「師匠や周りの人から期待されているのは感じていました。でもかなり不安はありました。入会から3年半で三段になれたときは、このまますぐに四段になれるのかと思ったのですが、最初よりも途中で成績が落ちてしまって、自分が弱くなっているんじゃないかと。将棋は負けが混んでくると、自分の指し手が信じられなくなるんです。こう指せば勝てるという手が見えているのに、それが指せなくなる。その頃は対局が近づいてくると何かに追いかけられているような夢をよく見ました」
天才が初めて当たった壁だった。
森下は増田が三段に上がると、一緒の研究会を終わりにした。「技術面で私が教えることはなくなりました。もっと強い人と指すべきだと思ったのです」。ただ、増田の勝負所での気持ちの弱さが気になった。
森下はこの頃、増田に記録係をやることを勧めた。
「将棋の勉強というだけでなく、記録係は集中力、忍耐力を養う特効薬なんです。長い対局は12時間以上かかります。ずっと正座して、盤から目を離さずにいるというのは、かなり辛い。それを奨励会時代にしっかりやっておけば、プロになってからどんな長時間の対局でも乗り切れる根性が身につくのです」
しかし、増田は一度も記録係を申し出ることはしなかった。
増田が森下の指導に従わなかったのは、ただ反発していたというわけではない。それまで経験したことのない壁に当たり、不安の中で自分なりに打開する道を探っていた。
「師匠にはよく記録係をやるように言われました。精神的に鍛えられるからやりなさいと。でも、どうして必要なのか、わからなかったのです。勉強という意味では、今は棋譜をデータで調べられますし、対局も中継で観ることができます。それに精神修行をしているよりも、目の前の対局に勝つために、研究する時間の方が欲しかった」