文春オンライン

特集観る将棋、読む将棋

「師匠の考え方は古いと思います」反発心を隠そうとしなかった増田康宏六段が目頭を拭った“師匠の言葉”

「師匠の考え方は古いと思います」反発心を隠そうとしなかった増田康宏六段が目頭を拭った“師匠の言葉”

『師弟 棋士たち魂の伝承』より

2022/01/15
note

精神修行か技術習得か

 確かに増田の意見は理にかなっている。一方で、森下が伝えたい精神論もわかる。技術の習得には、コンピュータを使った合理的な方法が有効だ。だが将棋を指すのは人間であり、体力や感情、思考力といった総合的な能力が求められる。「体で鍛えた将棋」という言葉があるが、“将棋ではなく勝負”という部分において、心身の鍛錬が大きいことを森下は伝えたかったのだろう。

 ただ、才能と若さを持った増田には、今は精神的鍛錬よりも、技術的強さを求める気持ちの方が強い。

「記録係を断っていたので、師匠からは根性がないと思われていたようです。深浦康市九段(森下の弟弟子で、熱血漢の棋士)と比較して『増田に深浦の根性の10分の1でもあれば、タイトルを獲れる』と師匠が話しているのを、三段時代から人伝に聞いていたので、納得いかないものがありました。僕は読みの深さで勝負する自信があるので、時間の長い将棋は歓迎なんです。正直、記録係の件に関しては、師匠の考え方は古いと思います」

ADVERTISEMENT

 

 棋士は誰しも積み上げてきた自分の将棋への誇りがある。増田も身につけた技術はもちろん、将棋にかける思いも誰にも負けないつもりだ。師の発言は、弟子の発奮を促すつもりだったのだろう。しかし、若い増田のプライドは傷ついた。

「僕はずっと自分の考えを信じてやってきました。四段昇段は師匠よりも早かったですし、新人王戦も連覇しました。同じ年齢での勝ち星も自分の方が多いはずです。最近では師匠とお会いしても話すことはめっきり少なくなりました。言っても言うことを聞かないと思われているんじゃないでしょうか」

 

すべてを将棋のために賭けていると言えるのか

 森下は言う。

「将棋ではまず才能というものがあります。そして覚えるのは、できるだけ早い方がいい。健康にも恵まれて、親御さんや周囲の方々の理解があって、良い指導者に恵まれる必要があります。私はそれらを全部含めて『運』だと思うんですね。人生の90%は『運』でできていると思っています。ただ、それだけでは持って生まれた才能は開花しない。そこに、本人の何が何でも勝ちたいという気持ちが不可欠なんです。自分から運命に働きかけられるのは、根性や執念なんです。増田には、頂点に立てるだけの才能があります。ただ、本当にすべてを将棋のために賭けていると言えるのか。心に空洞がなかったと言えるのか。そうでなければ、彼は5年前に今の藤井聡太になっていたはずです」