1ページ目から読む
4/7ページ目

両親の離婚で一気に貧乏生活へ

 これまで50年近く生きてきたが、金魚を食おうとしたという話は初めてだった。バブル景気は終わったとはいえ、まだ社会にゆとりのあった1995年前後の話だ。彼女は私より9つ年下だが、ほぼ同じ時代の空気を吸っていたといってもいいだろう。そんな極限の状態にまで追い込まれた理由は何だったのだろうか。

 貧乏生活を強いられる以前、つまり両親が離婚するまで、侑子は何不自由ない生活を送っていた。むしろ裕福だったという。

「父親は宝石商をやっていました。何でも欲しいものはすぐに買ってくれましたね。3つ年上の姉はシルバニアファミリーだとか、ファミコンソフトの新作が出るたびに買ってもらっていました。母親は、父親と暮らしていたころはスーパーやデパートに行っても、値札を見て物を買ったことがないと言っていました。食卓には毎日刺身が出てましたね。経済的には裕福な思いをさせてくれた父親ですが、箸の持ち方だとか、父親に向き合って座るときには正座だとか、しつけにはすごく厳しくて、怖かった記憶しかありません」

ADVERTISEMENT

 何不自由ない生活に暗雲が立ち込めはじめた原因は、父親の浮気だった。愛人をつくり、その間に子どもまでいたという。侑子が小学校高学年になるころには、家にも帰ってこなくなった。家族を顧みない夫の行状に、母親の堪忍袋の緒が切れた。

「出張だと言って家を空けることが多くなったんです。ずっと帰ってこないから怪しいと思ったんでしょうね。母親が調べたんだと思いますけど、父親が二重生活をしていることがわかったんです。それで、中学生のとき母親と姉の3人で、夜逃げ同然で家を出ました。それからアパート暮らしがはじまり、一気に貧乏生活になったんです。母親は、別居するまで仕事なんてしたことがなかったですし、右から左に後先考えずにお金を使っちゃう人でしたから、たいへんでした。自分で稼がないと食べていけないのはわかっているから、パートに出たのはいいんですけど、給料が出るとすぐパチンコなんかに使ってしまって、家にまったくお金を入れないんですよ」