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 両親は彼女が3歳のころに離婚し、珠理は母親と祖母に育てられた。日中、学校に行かなくなった珠理の面倒を見てくれていたのは祖母だった。  

「父親に初めて会ったのは、20歳のときでした。化学の研究者として有名な人でしたけど、私たちを捨てた人という印象しか持てなかった。そのせいか、男性に対する嫌悪感というんでしょうか、それがいまもどこかにあります」

勉学ではなくデリヘルが救ってくれた

 中学、高校と完全な不登校。独学で高卒認定を取り、受験したのが東大だった。

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「現役のときは絶対に受かると思っていたので、東大しか受けませんでした。数学は簡単でしたけど現代文と英語がダメで、一浪したのち合格したのが上智でした」

 上智大学で弁護士をめざそうと考えたが、たとえ司法試験に合格しても1年の修習生期間とテストをクリアしたのち、既存の弁護士事務所で数年間の研鑽を積んでようやく開業するのが一般的だと知り、あきらめた。翌年、東京理科大に入りなおしたが、そこでは偏屈な教授に嫌気がさして2年次に中退した。

「我慢してまで、人に合わせることができないんです。だから、大学は辞めてしまいましたけど、社会とは何らかの接点を持っておきたかった。友達ができないのがずっとコンプレックスだったんですけど、あるとき女の子ばかりが集まるバーに行ってみたら、語りあえる友達ができたんです。そこから少しずつ交友関係が広がって、いろいろとお金も必要になってきました。何か仕事をしなければと思ったとき、興味を引かれたのが風俗の仕事でした。初体験は一応、大学生のときに済ませていました。心の中では男性を受け入れたくないのに、やってみたらセックスって気持ちいいなって感じて。それでデリヘルで働くことに決めました」

 デリヘルの仕事を続けるなかで性への興味は満たされ、金銭的にも精神的にも安定した。

写真はイメージです ©iStock.com

「新宿二丁目のレズビアンバーに行ったり好きな洋服を買ったりしたら、お金はほとんど余らなかったですけど、小学校から高校までずっと味わってきた孤独感に苛まれることは、おかげでもうなくなりました」

 一方で、男への不信感については、いつまでも拭えなかったという。

「男の人って、身だしなみとか気にしなくても、お金さえあれば何でもできると思っている人が多いんだなと感じました。お客さんから、付き合ってくれとしつこく要求されることも何度かありましたけど、恋愛の対象にはまったくなりませんでしたね」