「女は触られなくなったらおしまいよ」母の言葉
母親がまるで頼りにならず、このままでは死んでしまうと思った彼女は、もう自分で稼ぐしかなかった。初めて働いたのは、中学の同級生の母親が経営しているスナックだった。
「15歳でしたね。ヤンキーグループの仲間のお母さんの店だから、ウエルカムでした。私も大人びていたので、中学生には見えなかったと思います。時給は1000円、中学3年生にはすごく大きな金額でした。水商売に入ったのはそれがきっかけです。母親からは『高校に行かせる金はない』と言われていたけど、みんなが行くんだから私も行きたいと思って、高校と専門学校の学費は全部、自分の稼ぎで払いましたよ」
3つ年上の姉はその当時何をしていたのだろう。聞くと、母親に劣らず姉も破天荒なんですよ、と侑子は言った。
「まだ父親と生活していたころですけど、家の金庫に父親が保管していた宝石を勝手に持ち出して、なくしたりしていましたからね」
スナックの次は、キャバクラで稼ぐようになった。18歳だった。時給は3000円。高校に通いながら週に3日、働いた。ショータイムにはニップレスとパンティーだけの姿で踊った。しかも、その店のキッチンでは母親が調理のアルバイトをしていたという。
「私がキャバクラで働いているのを知って、仕事を探していた母親が口をきいてくれと言ってきて、キッチンで働くことになったんですよ。あるとき、お客さんに体を触られて私が嫌そうな顔をしているところを見ていたようで、店が終わってもまだ落ち込んでいる私に帰り道、こう言うんですよ。『女は触られてなんぼだから。触られなくなったらおしまいよ』。とにかくぶっ飛んだ人なんです」
キャバクラの次に彼女が飛び込んだのは、風俗とAVの世界だった。キャバクラから風俗へのジョブチェンジに際しては、とくだん大きな壁は感じなかったという。なにより、稼げる金額にまず目がいった。
「18歳からずっと働いていたキャバクラが潰れてしまったんです。どこか探さなきゃと思ったときに目についたのが、給料のいいソープランドでした。すぐに電話して働いてみたけど、私にはあんまり向いてないと思ったので半年で辞めました。お客さんを迎えるときに正座したりとかね、なんかガチガチで堅苦しくて。もっとエッチを楽しめばいいじゃん、と思いましたよ」