新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、感染ルートとして名指しされたのが日本各地の繁華街、そして風俗業界だった。
ノンフィクションライター・八木澤高明氏の新著『コロナと風俗嬢』(草思社)では、風俗業界で生きてきた人々の「いま」が描かれる。ここでは同書より一部を抜粋し、コロナ禍で客足の激減した風俗業界を生き抜く女性の姿に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)
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「数学の天才」がデリヘル嬢になったわけ
「人生初めての挫折は、東大の受験に失敗したことですね。絶対に受かると思っていたからものすごいショックで、ほんとに打ちのめされました」
落ち着いた口調でこちらをしっかりと見て話す彼女の瞳は、明るい緑色をしていた。カラコンを入れているのだという。ほっそりとした長身。名前は珠理(仮名)。今年32歳になる。
これまで数多の風俗嬢に話を聞いてきたが、東大という単語を耳にしたことは勿論、大学に落ちたのがいちばんの挫折だと話す女性に出会ったのは初めてだった。
珠理の言葉の端々に、勉強に関しての自信があふれていた。
「自分のことを天才だとずっと思っていました。小学校でやる算数は、幼稚園の年長のときにはわかっていたし、勉強というより遊びみたいな感じでしたね。一度数字を見ると、掛け算でも割り算でも、すぐに頭に入ってくるんです。小学校高学年のときには、新聞に載っていたセンター試験の問題を解いていました。全問正解とはいきませんでしたけど、8割くらいは合ってましたね」
文系畑のど真ん中を歩いてきた私からすると、彼女の話は驚きの連続だった。両親からスパルタ教育を施されたわけではなく、自然と数学の才能は身についていたらしい。天からあたえられた才能。聞いているかぎり、天才という言葉もしっくりくる。
しかし、いくら頭脳明晰でも日本の義務教育では飛び級での進学はできない。珠理にとって、小学校1年生で学校の勉強が勉強でなくなってしまったことが、ある意味では悲劇のはじまりだったといえる。
「勉強は簡単すぎるし、馬鹿らしくなって、学校は全然面白くなかったですね。友達もひとりもできなくて。1年生のころはまだ学校に通っていたんですけど、しだいに行かなくなりました。友達ができなかったのは、まわりの空気を読むことができないアスペルガー症候群も影響していると思います。ついつい自分の世界に入ってしまって、まわりが見えなくなるんです。それと、勉強はできるんですけど、工作とか体育なんかはまったくダメでした」